6.みずほFGの驕り
2012年12月の金融庁検査で問題融資が明らかになり、改善の指摘を受けた直後の12月26日、第二次安倍内閣が発足した。佐藤みずほFG社長(兼みずほ銀行頭取)にとってこれほど好都合なことはないとの思いが強かったのではないかと思われる。
というのは、みずほ銀行は2000年に第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が合併して発足したが、合併に奔走した日本興業銀行の西村正雄頭取は安倍晋三総理の叔父にあたり、西村正雄氏はみずほホールディングスの会長であったからだ。
安倍晋三氏は父晋太郎氏が急死したため、1993年(平成5年)に父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選した。その3年後の1996年6月、叔父である西村正雄氏が日本興業銀行頭取となった。駆け出しの安倍晋三代議士が頼りにしたのは西村頭取であった。
筆者も経済界のパーティ会場で西村頭取と一緒にいる安倍代議士を何度も見かけたことがある。1990年代後半にはバブルがはじけて金融界は金融再編の真っただ中にあったが、西村頭取は大手企業経営者と親しく、その紹介を受けた安倍晋三代議士は経済界に顔を売り、メキメキと頭角を現して総理の椅子を射止めたとも言われている。
みずほFGの佐藤社長も日本興銀出身であり、西村頭取が新顔の安倍代議士を可愛がり、日本有数の経営者を紹介するなど、親密な関係にあったことは熟知していたと見られている。
また畑中金融庁長官は13年6月、安倍総理によって留任し3年目を迎えることになった。そのため安倍総理とは親しい関係にあるとの自負は、みずほFGの経営首脳だけでなく監査役にもあったものと思われる。まさか9月に金融庁から突然業務改善命令を受けるとは思ってもみなかったというのが本音だったのかもしれない。
かつて大量の不良債権抱えているにもかかわらず、「Too big to fail」とタカをくくっていたUFJホールディングスは金融庁に解体され、三菱東京銀行に救済合併させられている。銀行にとって一番怖いのは金融庁である。
みずほFGにとって、確かに相手が反社会的勢力であり、問題融資を回収するには厳しいものはあるかもしれないが、指摘されたものは改善するように何らかの対応をするのが一般的である。みずほFGにとって、時の内閣総理大臣とは特別な関係があるとの驕りが、今回の委員会設置会社へ移行することになろうとは夢にも思わなかったに違いない。
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