情報監視が徹底しているイメージの中国。日本人が行くと、とくに「郵便」「メール」などでの情報に対する認識の違いに驚く。日本では、たとえ「普通郵便」であっても、郵便局の人間が途中で「ハガキや封書の中身を見ている」とは考えない。個人的にやり取りされた「メール」も、プロバイダー会社や内部の人間が文面を読んでいる可能性については誰も考えていない。
しかし、中国では初期的な意識から違う。郵便物は「誰かに読まれる可能性がある」という前提で投函される。郵便物の検閲は、戦時中の日本にもあったことだが、中国では現在も「当然」のこととして、仮に読まれていなくても「そういう可能性はある」という潜在意識がある。メールに関しても同様だ。日本で仮にフリーのメールアドレスをお互いに取得し送り合ったとして、日本人はメールの内容は送り手・受け手の「当事者同士」しか見ることができないと信じきっているが、「メールサービスを提供している運営会社」は閲覧することがシステムとしては可能である。
中国での通信は、「聞かれているかもしれない」「聞かれていなくても聞かれることもあり得る」という前提でなされる。メールも同様で、過激な内容や政府が反応しそうな単語は書かない。中国版ツイッターとして知られる「微博」にも私信(ダイレクトメッセージ/DM)機能があるが、「管理者には見られている可能性がある」として、DMにも過激なワードは書かない。とくに尖閣諸島問題が深刻化して以降、中国人は日本人とのメールやり取りに敏感になっている。日本人である筆者も、その空気は察知する。やり取りのなかで、「日本」というワードは絶対に入れない。微博側が大量のメールから「ワード検索」で「日本」というワードをチェックしているかもしれないからだ。中国人側は、筆者に対して「你国(あなたの国)」という単語で送ってくるので、私は「我国(わたしの国)」という言葉で折り返す。個人情報などもメールには極力入れない。「直接会って話す」のがベストで、中央(北京)政府が把握できない地方の「方言」を暗号変わりに使うこともある。
国民の間では「微博と中国国家はつながっていて一定の情報提供をしている」とも噂されている。我々の何気ないやり取りが見られているかどうかわからないが、常に「見られているかも」「聞かれているかも」という前提で情報のやり取りを行なっているのだ。
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