<自由奔放な姿に、やっかみを持たれることも>
ここに1冊のFMラジオ雑誌がある。発行は1980年2月4日――もう34年も前のものだ。エフエム福岡は当時、福岡に唯一の民放FM局。タイムテーブルを見ると、月~金曜日の午後8時45~55分に「ミュージックフレイバー」という番組が放送されている。
77年4月に始まった同番組は、このクールから3代目パーソナリティとして「長沢由起子」が起用されている。そう、この人物こそ、先日破綻した(株)ガリヤの代表取締役、「長澤由起子」氏当人である。
実を言うと、この番組はOL向け情報誌「エルフ」が冠になっている。エルフは、今年3月まで地場広告代理店「西広」のエルフ事業部が発行していたフリーペーパーだ。長澤社長は、フリーペーパーという言葉もない時代から情報誌に携わり、メディアミックスの一環としてラジオのパーソナリティも務めていた。
長澤社長は、番組でエルフ関係者から集めた仕事のうっぷん話などを紹介。それがリスナーのOLたちにとって、ある種のガス抜きになる番組だった。
一方、エルフ本誌は76年に創刊した独身OLのサークル会報誌「エルフのつどい会報」がルーツ。「福岡のOLさんと楽しいことをしたい」という主旨で、企業単位で会員を募集し、コミュニケーションツールとして機能していた。
編集スタッフには会員から有志が加わり、エッセイから愛のポエム、セクハラ問題、独身男性の紹介まで、OLが好みそうなネタを中心に内容を構成していた。
並行して、会員向けにさまざまなイベントを企画した。年末に開催される盛大な「クリスマスパーティ」は、今でいう婚活イベントの走りだった。長澤社長は、まさにOLカルチャーの発信者だったと言っても、過言ではないだろう。
1990年2月、長澤社長はエルフから独立し、ガリヤを設立した。エルフ時代には編集長という立場を手に入れ、スタッフには会員をボランティア参加させた。スポンサー開拓は西広の営業が担当してくれた。自身は正式な社員ではないため、時間があると英国に短期留学したこともあった。
長澤社長は後にエルフを退いた理由について、「社内でイジメにあったから、止むに止まれず去った」と語っている。しかし、西広側からすれば「随分、良いご身分」である。
好き勝手に振る舞う態度を疎まれてもしょうがない。そうした自由奔放な生き方がOLたちの間では、知る人ぞ知るリーダー的存在だった。それが30数年後には自社を凋落、破綻へ導くとは、このときは思いも寄らなかっただろうが――。
<バブル期は黙ってもスポンサーが集まった>
90年代初めと言えばバブル経済が崩壊する前。福岡は東京に比べ、景気循環の曲線が示す高不況の波では、タイムラグがある。当時は、まだまだ好景気の直中だったわけだ。
あのエルフから独立した編集長が手がける「オフィスマガジンGaRiYa」。地元メディアが注目する女性社長。ターゲットにビジネスマンも加え、発行部数は18万部、配布エリアは福岡県内全域をカバー。――と、話題は十分過ぎるほどそろっていた。
前年の89年には、天神にイムズ、ソラリアプラザがオープンした。福岡は若い女性を惹き付ける魅力が一気に高まった。ファッション、グルメ、ビューティなど、情報ソースには事欠かなかったのである。
ただ、ガリヤは情報誌と言っても、読み物ではなかった。基本スタンスはページを切り売りする広告メディアだ。 編集ページもあるにはあったが、そちらも自社企画の記事広告に過ぎない。純広告は表2やセンター、表4で、後は2分の1から4分の1になる。分割を除けば、「入り広」が大半だから制作の手間も省ける。すべて計算づくである。
好景気の時代だっただけに、編集企画や内容などが精査されるはずもない。スポンサーから出稿依頼が次々と舞い込んだ。スポンサー側にしても、広告を出さないと売上につながらない。そんな脅迫観念がフリーペーパーへの広告掲載を促した。
破綻前にWebで公開されていた媒体資料は、この頃に作成されたものだとガリヤ関係者は語る。おそらくエルフを下敷きにつくられたものだろう。媒体料はカラー1ページで40万円弱。それに制作費が2万円程度からと、リーズナブルだ。
マス媒体ほどの経費をかけられない企業にとっては、都合が良かった。広告効果についても、テレビや新聞に比べると、次の号が発行されるまでは期待できた。
そんな条件が重なり、ガリヤは好調な滑り出しで、初年度から黒字をマークした。10年後の2000年には、博多区店屋町に自社ビル"ガリヤ御殿"を建設。同年7月の決算では、売上高6億円を突破するなど、飛ぶトリを落とす勢いだった。
しかし、ページを切り売りするスタイルを崩さないため、編集物として内容を掘り下げるまでにはいかなかった。また、スポンサーから順調に出稿があったことで、広告戦略や販売促進などの企画提案も、ほとんどなされなかった。
メディア企業として、生き残るためのノウハウを蓄積しない。先を見据えたビジネスモデルの確立を行なわない。もちろん、長澤社長自身にそんな意識は、これっぽっちもなかった。当然、「営業が厳しくなったここ数年は、媒体料も正規料金のはずない」と、あるスタッフは語る。
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