ノキアの事例は、「三星グループがつぶれると韓国経済はだめになる」とか、「三星のような存在があるから今の韓国経済があるのだ」と固く信じてやまない人たちに示唆するところが多い。ノキアの事例は、「通念というのはいかにもろいものであり、世の中の常識には疑ってかかれ」と言っているような事例でもある。
ノキアの事例は、2つの教訓を教えてくれている。
1つ目は、巨大企業が国民経済のなかで占める比重が大きければ大きいほど、波及効果は大きくならざるを得ないとことである。1つの企業がつぶれることが国家経済の危機をもたらしかねないという点だけでも、国家経済のリスク要因である。ノキアのような巨大企業がつぶれても国家経済がビクともしなった事例は、むしろ少数の例だろう。金融危機の際にアメリカの自動車企業が危機に瀕することによってアメリカ経済にどれだけ打撃があったかはよく知られた通りである。
2つ目は、巨大企業がつぶれてもノキア事例のように国家経済にはあまりダメージを与えないという点だ。
この2つの主張は、一見すると矛盾しているようだが、深く考えてみると矛盾していないのだ。
経済全体で、巨大企業が占める比重が高ければ高いほど、長期的には国家経済にそれほどプラスにはならない。また、企業にも寿命があり、巨大企業であっても年もとるし、病気にもなる。そうなったときに、巨大企業ほど回復が難しいし、遅くなる。病気になった企業を無理に生き残らせることは、国家経済にもそれほどプラスにならない。巨大企業を救済するために、国家全体の多くの犠牲が必要になる。
それからもっと悪いのは、巨大企業が国の資源を独り占めすることによって健全な中小企業の成長を妨げることになり、その結果、経済生態系の活力を奪う結果につながるという点である。
<もし三星がつぶれたら>
では、韓国の場合はどうか――?
韓国経済はフィンランドと状況がとても似ている。最近、三星の将来を心配する声も聞こえるようになっている。主力事業のスマートフォン事業は成長に限界があるとか、新しい成長エンジンが見つからないとか、中国の追い上げが激しくて日本企業の二の轍を踏むようになるに違いないとかなどである。
しかし、今現在、三星はノキアのように韓国経済の相当の部分を占めている。特定企業が、ある国の経済において比重が高すぎるのは、望ましい現象ではない。体が大きければ大きいほど、一度倒れたら立ち上がることも難しいし、それからフットワークも悪くならざるを得ない。巨大企業であればあるほど、イノベーションやチャレンジに不向きになる。もしイノベーションに失敗しても、体が小さければ国の経済に与える影響も小さくなる。しかし、巨大企業は失敗すると、その影響は甚大である。そのため政府は、経済生態系が活力があって健全であるように、常に監視の目を緩めない必要がある。巨大企業に資源が集中し、中小企業が育たなくなるとその分生態系が脆弱になるし、危機の対応能力も落ちてくるからである。
一部では、三星や現代などがつぶれても、韓国経済はびくともしないという主張もある。これまでの歴史のなかで、大宇グループなど多くの財閥グループがつぶれたが、韓国経済はそれにもかかわらず成長を続けてきたという主張である。もちろんそれを処理する過程で、国民の税金が注入されたり、一時的な動揺はあったが、韓国経済の根幹が揺らぐようなことはなかった。
韓国では「大きい会社はつぶせない」という通念もあるが、今こそ韓国経済にとって何が望ましいことで、巨大企業であっても、必要であればつぶすのだという覚悟もいる時期である。財閥企業のおかげで今の韓国経済は成り立っているという通説は、本当に正しいのか、もしかしたら誰かに洗脳されているのではないかも含めて、冷静に考えてみる時期である。
富の適正な配分の観点やグローバル競争の観点など、相対立する視点はいろいろあることも事実であるが、今後の韓国経済にとって何か一番必要であるかを、今、真剣に悩まないと、取り返しのつかない局面に遭遇するかもしれない。
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