<競合誌の創刊を許したツケは大きかった>
エルフ、ガリヤの系譜がつくり上げたフリーペーパーモデルは、次第に他社にも浸透した。1993年3月、(株)サンマークが熊本で「熊本Nasse」、同年12月には(株)アヴァンティが「avanti福岡」を創刊。両誌は北九州地区でも創刊するなど、これまでエルフ、ガリヤが開拓したマーケットを一気に切り崩しにかかった。
さらにタブロイド版や小冊子タイプなど、仕様・構成を変えたフリーペーパーが続々と登場。福岡はフリーペーパーにおける群雄割拠の時代へと突入した。順風満帆だったガリヤも、決して安穏としていられない状況に陥った。
それはガリヤ内部にも亀裂を生じさせる。そもそも、アヴァンティの創業者のM氏は、ガリヤの元メンバーである。しかし、長澤社長と企業経営や編集方針が合わず、同社を飛び出しての起業だった。
それでも、長澤氏とともに苦楽を共にしてきただけに、avanti福岡はターゲット、コンセプトともガリヤとは一線を画した。読者層を働く女性全般に拡げ、記事ではそうした女性たちが抱える問題を取り上げるなど、読者目線を切り口にした。
ただ、読者側がガリヤとの差異を理解できていたかと言えば、それは疑問だ。それくらいフリーペーパーが乱立していて、ガリヤは次第に目指す方向性を見失っていった。結果的に、長澤社長は創業メンバーと袂を分かつようになり、この頃から「女王様としてワンマンぶりが目立つようになった」と、当時を知るスタッフは回顧する。
さらに追い打ちをかけるように副編集長のH氏が退職。しかも、競合誌のサンマークに移籍したのである。そのとき、長澤社長はH氏、サンマークのA社長を交えて一席を持ち、半ば引き抜きを認める代わりに「福岡には進出しない」旨の口約束を取り付けた。
ところが、97年3月、サンマークは何事もなかったように福岡で「メサージュ」を創刊する。背景にはH氏が死亡したことがあるが、「ビジネスの世界に他社のエリアを侵さない不文律なんてどこにもない」と、言わんばかりだ。
その後、同社は立て続けに媒体を増やし、今日では完全にガリヤを凌駕するほどの営業力を見せつけている。口約束など簡単に反古にするA社長のこと、そのときにはガリヤのシェアを奪うのは容易いと思ったに違いない。
しかし、競合誌の台頭を許したのは、長澤社長のビジネスに対する甘さ、A社長の強かさを見抜けなかった鈍感さに起因する。ガリヤスタッフOBのなかには、「メサージュの福岡進出を許したことが破綻の元凶だ」と語る者もいるほどだ。
<インターネット時代に即応できない経営者>
ガリヤが凋落の道をたどった原因は、競合誌の台頭だけではない。もっと大きなビジネス変化、インターネットの登場である。
フリーペーパーの世界でも、情報や技術、その先の消費までがグローバル化した。企業も読者も情報の受信までに時間がかかる紙媒体を超えて、発信とほぼ同時に受信が可能なWebメディアを多用するようになったのである。
他誌はこうした変化に柔軟に対応し、営業面でも打ち出したのに対し、ガリヤは紙媒体とWebを融合させたビジネスへと舵を切らなかった。
たとえば、競合誌の某社は、自らの媒体の特徴を広告を出稿するスポンサー企業に理解してもらうために、企業側がターゲットに合わせた媒体を選べるようにWebサイトをポータル化したりしている。むしろ、今日ではそれが当たり前だ。
しかし、長澤社長は頑に紙媒体に固執し、完全に潮目を読み違えた。それどころか、本人は旧型のOS9搭載のMac-G4しか使いきれず、デザインソフトのIllustratorで平気で記事を書くデジタル音痴だった。また、PCのメンテナンスを一切行なわず、頻繁にフリーズを起こしていた。
長澤社長はその都度、「ちょっとこれ直して」とスタッフに頼んでいたというから、ある社員は「仕事にならなかった」と嘆く。また、別のスタッフは「インテルのCPUを搭載した最新型にMacに買い替えては」と進言するも、本人は「私はこれがいちばん使いやすいのよ」と、意に介さなかった。
フリーペーパーと言えど、デザインにクオークやインデザインを使うのは、今や当たり前。しかも、デザインソフトは、PCの進化とともにバージョンをアップしていく。頻繁にフリーズを起こすのは、ハードとソフトの整合性がないからだ。編集に携わる身として、そういう知識が全くなく、知識さえ身につけようとしない。
もっとも、長澤社長のメカに対する無知、無頓着、不勉強は、今に始まったことではない。エルフ時代からずっとそうだったようだ。編集物の作業工程は、企画、取材&撮影、記事作成、文字校正、原稿入れ、レイアウトデザイン、入稿、色校正、印刷、発刊というスケジュールになる。
ところが、色校正が終わり、輪転機が回っているときに平気で印刷会社に対し、「『追加原稿をお願いします』と言ってきたことが何度もあった」と、担当営業マンは呆れる。
長澤社長は根本的に、情報誌編集に関する知識しか持たなかった。これではインターネット時代の経営者として、失格の烙印を押されても仕方ない。
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