「それでもボクはやってない」。無実の者が有罪となったといえば、こういうケースをイメージするだろう。足利事件、東電OL殺人事件など再審無罪事件の冤罪被害者は真犯人ではなかった。だが、冤罪は、そればかりではない。
誤解を恐れずに言えば、冤罪には二つのタイプがある。犯人ではない場合と、犯罪ではない場合。つまり、前者は、その行為をやっていない。「それでもボクはやっていない」である。もう一つが、行為自体はやってはいるが、その行為が犯罪ではない場合だ。経済事件、政治事件に、そのような事件を見ることができる。佐藤栄佐久知事(当時)の福島県汚職事件や、元民主党代表の小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件などである。
「お前がやったんだから、潔く罪を認めろ」との無言の圧力の前に、屈した被疑者、被告人が何人いただろうか。取り調べる側、裁く側に、本当に犯罪なのか理性的な判断が曇らされていないか疑問を抱く。冤罪自体が、本人にはなんの落ち度もないのに、汚名を着せられたまま、社会の片隅に追いやられる。メディアスクラムによる報道によってつくられた「推定有罪」イメージを覆すのは容易ではない...(⇒つづきを読む)
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