(株)吉野家ホールディングス(本社:東京都北区、河村泰貴社長)の子会社の(株)吉野家で長年経営トップを務めてきた安部修仁代表取締役社長が、8月31日付で同社取締役を退任することとなった。前身企業である吉野家ディー・アンド・シー時代から22年間歩み続けた経営トップの道に幕を下ろすこととなった。安部社長の後任として吉野家HDの河村社長が9月1日付で兼務する。
安部社長は、アルバイトから社長へと昇り詰めた経歴の持ち主。一度倒産した吉野家の経営に、88年に取締役として参画。常務取締役を経て、92年に代表取締役社長に就任した。以後、業界のトップランナーとして、国際的な猛威を振るった「狂牛病」や「牛丼戦争」などの価格競争を乗り切った。
<弊社12周年記念講演で、750名の参加者を魅了>
弊社と安部社長との繋がりのなかで、もっとも思い出深いのは、今から8年前、設立12周年記念セミナーで、延べ750名のお客様方へ深い感銘を与える講演をしていただいたことだ。当時、(株)吉野家はまだ前身である(株)吉野家ディー・アンド・シーの時代で、「狂牛病」という世界的な脅威を、独自の経営理念と社員との一致団結で闘い抜いた安部社長の経営手腕が、多くの経営者の関心の的となった。
アメリカ牛にこだわる吉野家は、2004年、米国産牛に狂牛病(BSE)が発生した煽りを受け、牛丼の材料が手に入らず販売中止に追い込まれるという危機に直面した。安部社長の脳裏に経営に関わる前に舐めた倒産時の辛酸がよみがえったが、倒産からの復活というどん底での経営を学んだ安部氏は、その危機に際し、今こそあの再生に向けた取り組みを活かすチャンスなのだと気持ちを切り替えた。
安部社長は、「アメリカ牛が手に入らないのなら、入るまで待つ、あくまでも吉野家の味にこだわり、輸入再開まで、オーストラリア牛などの代替品に頼らず、アイディアを結集させ乗り切ろう」と、社員とともに豚丼などの新メニューを次々と考案、世に送り出した。結果、それが後に牛丼以外の強みを持つ強い企業づくりへと繋がることを社員に自覚させ、自信を与えた。
講演を聞いた人たちからは、「一度死んだ企業の再生をはかり、3年間、材料調達がなくても潰れない組織づくりをしていたのか」と驚き、感動の声が上がった。
<ミニ丼でこだわりの味を参加者に振る舞う>
12周年記念セミナーの会場のロビーでは、吉野家がミニ丼を600杯準備、景気よく幟を立て、参加者に振る舞った。しばらく吉野家の味から遠ざかっていたという参加者も、安部社長の熱い講演とともに懐かしい味に舌鼓を打ち、「これが、企業のこだわりの味か」と感動を新たにした。
「材料が手に入らないのであれば代替品で間に合わせて窮地を凌ぐ」というのが一般的な企業の考え方かもしれない。しかし安部社長は、危機に直面したとき、経営者にとって大切なのは、さまざまな課題に同時に手を打つことではなく、危機をいくつかのステージに分け、各ステージに応じて課題を解決することだと考えた。その論理的な経営について語った安部社長の姿は、今もそしてこれからも、企業経営の道が茨へと化したときの、心強い拠り所として、各々の心の中にあることだろう。
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