『夜の街』は、性風俗や賭博の違法営業、ぼったくりやみかじめなどで暴力団の介入があることも多く、継続的な健全化の取り組みがなければ、すぐに無法地帯となり、人が寄り付かなくなり、さびれてしまう。戦後の高度経済成長とともに「西日本一の歓楽街」と呼ばれるまでに発展し、今も多くの人々の憩いの場となっている中洲。その背景には、健全化に貢献してきた地元不動産業者の存在がある。今回は、中洲で最も古い不動産業者である(株)榎本興産を取材した。
「戦後すぐの頃は、今の歓楽街の光景からは想像がつかないほど、田んぼや畑もあって家がある普通のまちだったんですよ」と、榎本鈴香専務は語り始めた。戦後、大陸からの引き上げで一気に人口が増え、そして朝鮮特需とともに支店経済都市しての発展を始めた福岡市。1960年代頃には、中洲はすでに一大歓楽街となり、「まともに歩けないほど人がいた」(榎本専務)という。そうなると当然、中洲で商売をしたいという人は増えてくる。しかし、榎本興産では一貫して、"金ではなく人を観る仲介"を続けてきた。
「契約に際しては、必ず面接し、人物を見極めさせていただいております。ビルを守ることが健全なまちづくりにつながるからです」と、榎本専務は言う。多くの建物が密集する中洲は、巨大な資産の塊である。法に触れる店は論外だが、中洲の飲み客から不評を買う店が入ると、ビル全体の価値が下がる。逆に、繁盛する店はビルへの人の出入りを増やし、同じビルの他の店にも良い影響を与えるという。また、たとえ有名人からの申し出であっても、それだけを理由にテナントを貸すことはない。その有名人が直接店を切り盛りすることはなく、誰かに任せることが多いからだ。任された人は腰が座らず長続きしない。長年、中洲を見続けてきた経験に裏打ちされた、老舗ならではの哲学である。
テナントビルの家主でもある榎本興産では、仲介において投資の感覚を持っている。店を繁盛させることで資産価値を高める経営者への投資だ。「家賃の3倍払うと言われても、怪しいところには一切貸しません」と榎本専務。その一方で、たとえ手持ちの予算が乏しくても、中洲の経営者としての才覚を見出せば、資金面での協力も惜しまない。同社のサポートを受けて開業したあるママは、期待通りに店を大繁盛させた。そして、恩返しとしてテナントの内装を綺麗にして中洲を去ったという。「家主と店子は親子の関係」と語る榎本専務。これまで手がけてきた多くの店で、そうしたドラマがあった。
「西日本一の歓楽街・中洲」というブランドは、中洲で商売をする人々の長年にわたる営業努力の結晶である。同じ水商売であっても、中洲は他に比べて料金が高い。それは、多くの人々を呼び寄せるブランド力があるからだ。質の高いサービスを維持するためには、人件費も高くなる。また、「中洲」という看板の恩恵にあやかって商売する以上、その健全化に責任を持たなければならないだろう。まちのイメージが悪くなり、人が集まらなくなれば、それぞれの商売にしわ寄せが来る。中洲に腰を据える不動産業者は、『安心して楽しめる中洲』というブランドを守るために、その入口部分のチェックを徹底している。
<プロフィール>
長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
福岡県生まれ。海上自衛隊、雑誌編集業を経て2009年フリーに転身。危険をいとわず、体を張った取材で蓄積したデータをもとに、働くお父さんたちの「歓楽街の安全・安心な歩き方」をサポート。これまで国内・海外問わず、年間400人以上、10年間で4,000人の風俗関係者を『取材』。現在は、ホーム・タウンである中洲に"ほぼ毎日"出没している。
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