<角川春樹氏は映画と書籍のマルチメディアの先駆け>
角川歴彦氏は、その名前からわかるように、旧角川書店の創業家の出身。早稲田大学第一政経学部卒業と同時に、角川書店に入社した。
俳人で国文学者の角川源義氏が敗戦直後の1945年11月に設立したのが角川書店。角川文庫の成功で会社の礎を築いた。源義氏の後を継いだのが長男の春樹氏。國學院大学の学生時代は右派の学生として鳴らし、全学連の学生相手に大立ち回りした武勇伝は自慢だ。
社長の春樹は毀誉褒貶の激しい人物で、ワンマンで傍若無人。その反面、斬新なアイデアの持ち主で、角川映画を始めるなどマルチメディアの先駆けとなった。エンターテインメントを中心とした文庫戦略をとり、それまで名作文学や古典中心の文庫のありかたを転換。映画と書籍を同時に売り出す手法は角川商法といわれたが、長くは続かなかった。春樹氏が手掛ける映画事業が不振に陥り、メディアミックス路線は破綻した。
<追放そして復帰した角川歴彦氏>
角川書店は、歴彦氏が育ててきたテレビ情報誌『ザ・テレビジョン』や都市生活情報誌『東京ウォーカー』が収益を支えた。
春樹路線に危機感を抱いた歴彦氏が、自分の業績を背景に、兄に忠告した。春樹氏は歴彦氏に会社を乗っ取られるのではないかと危惧を抱く。90年から93年にかけて、角川書店はお家騒動に揺れた。
春樹氏が米南カリフォルニア大学を出たばかりの息子の太郎氏を後継者として入社させたことから対立は表面化。92年9月、歴彦氏は角川書店副社長を解任。春樹氏の長男、太郎氏が取締役に就任した。
退社した歴彦氏が立ち上げた新会社メディアワークスに、ゲーム雑誌、漫画雑誌など若者向けの書籍を出版している子会社の角川メディアオフィスの常務だった佐藤辰男氏ら役員・社員が合流した。佐藤氏は、今回、統合新会社の社長に就く歴彦氏の腹心だ。角川書店は骨肉の争いによって分裂した。
1993年8月、春樹氏はいわゆるコカイン密輸事件で逮捕された(懲役4年の実刑が確定)。角川書店社長を解任され、代わって歴彦氏が社長として復帰した。M&Aを重ねてケームやアニメ、音楽など「クール革命」の担い手となる事業を築いたが、最大の課題は後継者選びだった。
春樹氏との骨肉の争いがトラウマとなった歴彦氏は、統合新会社の誕生を機に同族会社からの決別を決断した。ドワンゴの川上氏に経営を託した狙いは、そう読むことができる。
<麻生太郎財務相のおい巌氏が社外取締役に>
目を引いたのは新会社の社外取締役に、麻生太郎財務相のおいで(株)麻生の社長、麻生巌氏(39)が就くことだ。ドワンゴの社外取締役でもある。巌氏の父親は、太郎氏の実弟の泰氏(67)。13年6月、九州財界の九州経済連合会会長に就任した。同ポストは電力会社の指定席で、九州電力の会長・社長以外から就くのは初めてだ。
麻生グループは福岡県飯塚市に本拠を置き、グループ企業は病院や学校法人を中核に79社。従業員は8,909人。14年3月期の売上高は1,614億円をあげている。
巌氏はケンブリッジ大学の出身で、10年6月に父親から麻生社長を譲り受けた。麻生では病院などのM&Aに力を入れた。動画投稿サイト「ニコニコ動画」を運営するドワンゴの社外取締役に就いて、首都圏進出の足がかりを得た。
巌氏が注目されたのは12年12月、社長を務める株式会社麻生が、都内の法令・判例など実務書籍の出版社「ぎょうせい」(東京都中央区)を買収したことだ。買収金額は324億円。300億円はみずほ銀行からの借り入れで調達した。巌氏は、ぎょうせいの取締役に就任している。
巌氏はネットビジネスに関心が強いとされる。新会社のKADOKAWA-DWANGOに「ぎょうせい」は合流するのか。今後の業界再編の注目点だ。
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