日本ではかつて巨人戦が毎日、民放で放送されていた。ルールブックを読まなくても、家族か友達か学校のクラスメートがルールや選手の特徴を教えるという環境が作られ、子供は選手の名前も知らず知らずの間に覚えていった。
現在、巨人戦は民放での中継がほとんど無くなり、BSでの放送。もはや「社会での共通の話題」になることはなくなった。以前なら巨人の「二軍」の選手が街を歩いているだけで一般市民は集まっただろうが、今は一軍の選手でも顔すら覚えられていない。
福岡のあるラジオ制作関係者は「ラジオ野球中継を放送しているが、実のところ、数字(聴取率)は良くない。一般リスナーからは『野球には興味がないから歌番組や情報番組をやってほしい』という声もある。実際にはそうした方が数字は取るだろう。しかし、今のラジオは『数字』よりも『スポンサー』ありき。ホークス戦を放送した方が、それに絡んだスポンサーが付きやすい」と現状を話す。「数字」や「反響」よりも「スポンサー」が優先されているところは、もはや「テレビショッピング」などと同類だ。
あるスポーツジャーナリストは「王貞治さん、長嶋茂雄さんが現場を離れ、イチロー、松井秀喜が引退する日が来たら野球の灯が消えるというのは球界の共通認識と言われた。松井は既に引退。イチローも引退する日が来れば、一部の熱狂的なファンの間で残ったとしても、一般市民の間で『野球』は話題にのぼらなくなるだろう」と指摘する。
そのうえで「ダルビッシュや田中将大も活躍しているが、『一般市民』からの注目度は松井、イチローに比べ断然低い。野球ファンは『野球は不動』と信じきっているが、一般社会や一般市民にターゲットを向けている公共放送ではかなりのスピードで野球を見切っている」と話す。
かつて「プロ野球ニュース」を放送していたフジテレビも番組タイトルを変え、日本プロ野球のニュースを大幅に削った。第3回WBC、日本敗退後の決勝戦「ドミニカ対プエルトリコ」は「深夜枠での録画中継」になった。日本に純粋な野球観戦文化が根付いていない表れとも言える。
もともと、第3回WBCは予選から、プールBは台湾、オランダ、韓国、オーストラリアという「激戦区」だったのに対し、日本がいるプールAは、中国、キューバ、ブラジルで、格下の中国、ブラジルを入れるという「不平等感」は明らかで、台湾、韓国メディアは、組み合わせのアンバランスさを報じた。野球観戦文化も衰退している中で、野球を提供する主催者側、放送関係者側の「モラル」も低下していっているのではないか。野球を純粋な「スポーツ」として捉えるのではなく、「ショー」として「いかに効率的に金を稼げるか」という視点になってしまったのだ。
消化試合を捨ててのプレーオフ制度の採用なども最たる例である。
「故障をしない」はずのイチロー選手の腰痛発生も、ついに「イチローさえもこの時が来た」と感じている人も多いかもしれない。仮に、イチロー選手がヤンキースやメジャーの球団から、戦力外を言い渡されれば、日本球界が静観しないだろう。イチロー選手クラスともなれば、「引退」は「受動的」なものではなく、あくまで「自分の判断」によって決めることができる。それでもイチロー選手が球界から「引退」となれば、一般市民からの「野球」の灯は大きく薄れてしまうだろう。
※記事へのご意見はこちら