韓国サムスン電子の李健煕(イ・ゴンヒ)会長(72)が急性心筋梗塞で倒れたことが、日本でも大きく報道された。「サムスン王朝の重大危機、イ・ゴンヒ会長の手術・入院で権力空白...どうなる韓国経済」(5月26日、産經新聞電子版)という具合である。「旅客船セウォル号沈没事件をきっかけにした朴槿恵政権の求心力の低下やウォン高に苦しむ韓国経済が、今度はサムスンの権力継承に揺れる」と、大々的に書いている。さて実際には、どうなのか――。
<サムスン会長が急性心筋梗塞に>
イ・ゴンヒ会長は5月10日、ソウル・漢南洞の自宅で急性心筋梗塞を起こし、順天郷大学ソウル病院で心肺蘇生術を受けた。その後、サムスンソウル病院に移され、詰まった心臓血管を広げる心臓血管拡張手術を受けた。サムスン病院はイ会長の安定した回復のため、60時間にわたり低体温治療を行ない、正常体温が戻った後も鎮静治療を継続している。
以上が公式発表だ。朝鮮日報(日本語版)によると、心停止の時間は当初発表の5分以内でなく「8分だった」という。たしかに重大な状況だったのは間違いない。サムスン病院で心臓血管拡張手術を受けた、とされていることから、会長はいわゆるカテーテル手術を受けたと見られる。心筋梗塞は、簡単に死に至る病である。「まさに間一髪だった」と言ってもよい。
しかし、カテーテル手術は一般的な対処法であり、現代の医学水準では、格別難しい手術ではない。「イ会長の脳の損傷」を危惧する見方もある。イ会長の病名は心筋梗塞であり、脳梗塞ではないが、ともに血管に血栓が詰まり、閉塞状況を起こすことでは共通している。心筋梗塞の場合でも、脳の障害が付随して見られることがある。軽視される事態ではない。
イ会長が大きな病に襲われたのは、今回が初めてではない。1999年に肺がんの手術を受けた後、入退院を繰り返してきた。韓国紙の報道によると、イ会長は一般病室に移れるほどになったという。しかし、今後「世界を飛び回るような激務」はもちろん無理だ。十分な静養のなかで、回復を図る必要がある。
サムスン病院側によると、イ会長は「昏睡状態から回復し、各種の刺激への反応が日々好転している」という。サムスン側は「まだコミュニケーションをしたり、動いたりすることができる段階ではない。一定水準の外部刺激には反応するなど、意識を徐々に取り戻している段階」と説明している。後者の説明が、より説得的だ。
<絶対的な皇帝の存在>
イ会長は、いわば「サムスンの皇帝」だ。韓国民なら、誰でも知っている常識だ。「イ会長不在の経営を経営陣は最も嫌う」(元社員)というのも、その通りであろう。
サムスングループは、現在、経営効率化に向けた事業再編の過程にある。カリスマ経営者の事態は、企業体の危機に直結する。もともとサムスン系列だった韓国の中央日報(日本語版)は「『サムスンリスク』最小化を」という社説を掲載したが、その辺りの事情を反映している。
「イ・スンヨプ、ホームランの叫びに目を開いたサムスン会長」(5月26日)という中央日報の記事は、いかにも「皇帝の動静記事」だ。
それによると、韓国プロ野球のラジオ中継でアナウンサーがイ・スンヨプ選手のホームランを興奮した声で叫ぶと、病室でイ会長が目を大きく開いたというのだ。病室ではイ会長が好きな野球中継を流していた。長男の李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長(46)は、このニュースを「選手たちが、良いプレーをしてくれて感謝する」と、サムスン・ライオンズのキム・イン社長に伝え、さらにキム社長は試合後ダグアウトで選手たちに、この事実を知らせたという。
外国人の目から見れば、いささか噴飯もののエピソードではあるが、それほど「皇帝の存在」は絶対的なのだ。
産經新聞も指摘するように、実務的なサムスンの経営はグループの役員らが担っており、「皇帝不在」でも今のところ重大な障害はない。しかし、決定的なのは、重要な人事はイ会長が決裁権を握っている。だから、今後のサムスングループを率いるのは誰か、その継承問題に注目が集まるのは当然である。
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<プロフィール>
下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授を歴任。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授(マスメディア論、現代韓国論)。
メールアドレス:simokawa@cba.att.ne.jp
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