港湾局に村田収氏がいた。福高の先輩。ミスター港湾局と呼ばれていた。港湾計画、漁業補償等を歴任。港湾行政のすべてに通じておられた。志賀漁協の中西組合長の紹介。東区の土井団地。選挙もずっと応援してくれた。キザというか、垢抜けたというか。スマートな人。私の結婚式に、真っ赤なバラの花を大量に抱えて現れた。まだ貧乏だった私は、花より団子ではあったが、鮮明な思い出。
もう一人、福岡地所の藤賢一さん。福高の2年先輩。慶應のラグビーのキャプテン。キャナルシティを成功させ、中国版キャナルを数カ所やっていると、新聞が報じていた。今では福岡を代表する福岡地所も、まだ小さな会社であった。35年前、市議初当選の私は、都市計画課長だった志岐(真一)さんの元に毎日通い、街づくりや行政のしくみを教えてもらっていた。志岐課長の机の前、折りたたみイスに一日中坐っていた。田町局長が課長の横に机を置いてやろうかと、笑っていた...(⇒つづきを読む)
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