NET-IBでは4月末に破綻した(株)ガリヤについて、数回にわたり報道した。これについて、読者からも多くのコメントが寄せられ、地場メディア破綻への関心の高さをうかがわせた。そこで再度、関係者に取材を行ない、同社の経営スタイルや長澤由起子社長の資質を探りながら、破綻に至った原因を検証する。
<特別なノウハウを必要とせず、競争に晒された>
(株)ガリヤは1990年2月に創業。代表の長澤由起子氏が西広の「エルフ」時代に培ったフリーペーパーのビジネスモデルをもとに独立開業したかたちだ。
媒体スタイルはA4版フルカラーの中とじ冊子で、ほぼ全ページを広告枠にして、切り売りするもの。読者ターゲットは20代から40代のOLやビジネスマン、経営者に設定し、速効性と1カ月の持続性の2大広告効果などを売りに営業を展開した。
そのため、内容は「タイアップ記事」や「純広告」が主体だが、ページの体裁をうまく整えたことで、一見すれば「編集物」と見分けがつかない作りとなっていた。
それらを契約企業への送付、手配りやポスティングなどで、福岡県全域に配布。発行部数18万部、読者企業4万3,000社(媒体資料)の触れ込みで、新規スポンサーも開拓していった。
同社は順風満帆なスタートを切り、初年度から黒字を計上。創業10年目の2000年7月には、売上高6億1,034万円、最終利益2,076万円を達成し、翌8月には博多区店屋町に自社ビルを購入した。
ところが、この頃をピークに売上げは次第に下降線を辿っていく。福岡では(株)サンマークの「メサージュ」、(株)アヴァンティの「avanti福岡」などの競合誌が続々と登場。00年代半ば頃からは広告媒体としてのガリヤの価値は薄れ、なおかつ他社の営業攻勢の前に次第に勢いを失っていったのである。
「創業から数年間、福岡はまだバブル景気に沸いていた。企業には数十万円の経費がかかろうが、広告を出さないと売上げが伸びないという危機感があった。だから、さしたる営業努力をしなくてもスポンサーは集まり、売上げは立った。それを長澤社長は自分の力だと勘違いしていたのではないか」と、有料タウン誌の編集や広告営業の経験をもち、同社にアドバイザーとして入社したM氏は語る。
フリーペーパーのような紙媒体は、電波のような免許制ではないため、要領さえわかれば誰でも発行できる。長澤社長はエルフ時代にそれを身につけたわけだ。
また、編集やイベント企画にエルフ会員のOLたちを参画させ、地場企業にも自身の名前が知れ渡っていた。ガリヤはそれらの要領や人脈をそのまま引き継いだわけで、特別なノウハウがなくても売上げはついたのである。
裏を返せば、誰でも真似できるビジネスだということ。つまり、バブル景気がはじけ、競合誌が登場すると、誌面づくりや広告提案などで有効な武器を持たないガリヤは、次第に勝てなくなってしまったのである。
(当記事は各関係者の証言をもとに作成しています)
(つづく)
【釼 英雄】
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