<営業と編集の両立では組織を維持できない>
一般に雑誌は一定のページが「広告枠」になっている。雑誌制作は出版社の編集者が外部ブレーンと協力して、企画から取材、原稿制作、編集、レイアウトまでの工程をコントロールし、印刷を経て発行される。
広告は出版社の営業部や広告代理店が集めてくる。そこで「記事タイアップ」は編集部側、「入り広」は代理店側で制作して入稿する。つまり、編集と営業は別々の分業制が敷かれているため、高いレベルの雑誌ができ上がるのだ。
ところが、ガリヤは業績好調の時期にこうした組織化、業務のセグメントをはっきり行なっていなかった。そればかりか、業績が下降線を辿るようになると、長澤社長は人件費を効率よく使うため、ほとんどのスタッフに「広告を集めること」を命じた。
それはスタッフの「営業編集部」という肩書きにも表れた。1人のスタッフが営業を行ないながら、企業からもたらされた情報素材で記事も作成する。そんな仕事をしていれば、営業するクライアントの数は知れている。
「2010年頃の収支は70ページでトントン。80ページに増えると黒字だった。ただ、営業して記事も書くと、1人が担当できるのは月にせいぜい20社くらい。長澤社長はよく『入稿前だから何ページ埋めないといけない。1人あと何ページ取ってきて』と言った。でも、みんな自分の仕事で手一杯だったので、そんな時こそ、社長自らが取ってきてくれれば良いのにという思いだった」と戸高氏。
営業スタッフはクライアントに対し、真摯に営業活動する姿勢で一貫していた。だから、今月は広告を取れなくても、来月は何とかアカウントにしようと動いていた。戸高氏もクライアントには3~4カ月のスパンで営業をかけていたため、当月の出稿を無理強いすることはできなかったという。
営業開拓は地ならしをじっくりやって花開くもの。地道な活動がその後につながっていく。その意味で、スタッフのやり方の方が正攻法だ。むしろ、長澤社長のように強引にノルマを課すような手法では、スポンサー開拓ができるわけがない。
広告営業に徹するなら、制作は100%外注にするような態勢もとれたはず。しかし、戸高氏は入社した翌年でも、営業スタッフ10名、アルバイトを含めた制作スタッフ10名の計20名ほど。それで月商は1,000万円程度あがり、営業的には何とか盛り返す気配はあったそうだ。
ただ、「広告を集めること」に主眼を置きたいのなら、厳しいノルマを課すよりも制作部門をリストラし、営業スタッフを増やすべきだった。そうでなければ収益が上がるわけがない。長澤社長の手法は完全に袋小路に入っていたということである。
(当記事は各関係者の証言をもとに作成しています)
(つづく)
【釼 英雄】
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