<羽田国際空港横に拠点を構える>
東京都大田区に京浜島工業団地がある(この団地に関しての詳細は後記する)。東京羽田国際空港に隣接し、タクシーで10分足らずで到着する。この京浜島工業団地は大阪府東大阪市の工場団地と並ぶ日本の中小企業の『ものづくりの最先端技術を持ったゾーン』として日本政府から認定されてきた。事実、ここからさまざまな企業が育ち、羽ばたいていった。この『ものづくりの最先端ゾーン』に(株)冨士機(本社:福岡市博多区)が拠点を構えた。半端な投資ではない。15億円の資金を投入して工場用地を購入したのである。
『夢の島』は有名である。この島は、東京都民が吐き出す生活ゴミで埋立されて創出された人口の島だ。その結果、『お台場』という東京都民だけでなく、日本人誰もが「一度は訪れたい」という憧れの場所に様変わりした(土地最低価格1坪500万円と言われる)。京浜島工業団地の前身は、やはり東京都民のゴミ捨てによって埋立された場所であった。『夢の島』の先輩格に当たるのである。ここは1969(昭和44)年から中小企業向けの工業団地に転用されるようになった。工場団地といえども『お台場』の坪最低価格500万円にはおよばないが、坪120万円はする。
同社の拠点工場が、飯塚市にある。ここの工場の坪当たりの評価は1万円前後だ。今回、同社が購入した敷地面積は1,400坪である(上物ツキ)。投資金額は15億円である。坪110万円で買ったことになる。これに対し、専門家は首を捻る。「中核工場の110倍の高い土地を買って、事業採算に乗るのであろうか?やることは同じと聞いているが」――と。この疑念は、至極当然だ。しかし、藤田以和彦社長は、強かな戦略を具現化しようとしている。
<汚泥処理技術の進化へ没頭>
同社のスタートは、生コンプラントメーカーとして業績を伸展させてきた。藤田社長はユーザーの悩み事を聞くなかから、『汚泥処理対策』の根本的解決を考案し続けてきたのである。長年、ユーザーのあらゆる苦悩を払拭させる技術開発を世に送り出してきたのが、藤田社長のビジネス人生と言っても過言でない。
汚泥処理に関しての最大の懸案事項は、(1)「まず残土として認知させること」、(2)「現場で埋め戻せること」などがある。わかりやすく説明すると、汚泥処理が生じると必ず別の処理場所に運搬する宿命が待っている。運搬コストの膨大さと交通渋滞の二重の難儀さをどう解決させるかが難問題であった。
そこで産み出したのが、現場処理工法である。工事現場で採集された汚泥を、現場で残土にできるプラントの開発の成功には、時間は要しなかった。同社には、たくさんの蓄積されたプラント実績があるからだ。難儀であったのは、汚泥を中性土壌にして、残土という評価をいただけるかであった。同社は機械考案にはお手のものである。だが、固化材の研究開発は門外漢であった。藤田社長も必死で飛び回り、さまざまなめぐり合わせで、中性化固化材の生産・販売権を獲得した。これが、同社の躍進の原動力になった。『汚泥処理プラントと中性化固化材の結合』で、最強のビジネスモデルを誕生させたのである。
前記した懸案事項をクリアして、(1)「運送コストが圧縮可能」、(2)「処理汚泥を残土として活用できる」メリットを打ち出せるようになった。この工法のブランドを決定づけたのは、阪神高速道路の現場である。この工事範囲で100万㎥の汚泥が発生した。この汚泥処理工事を冨士機が受注したのだ。3年間におよぶ受注金額は、48億円内外になった。この実績に対して、国土交通省が高く評価した。これが、東京に拠点を構える要因になったのだ。
(つづく)
<COMPANY INFORMATION>
(株)冨士機
代 表:藤田 以和彦
所在地:福岡市博多区博多駅東1-10-30
設 立:1972年9月
資本金:5,000万円
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