<現役ノンフィクション作家の体験した出版事情今昔>
ノンフィクション作家として最初の作品を上梓してから37年になる。この間、出版界、そしてノンフィクションの世界も大きく変貌を遂げた。「いい作品を世に出す」「力のある新人作家を発掘する」といった出版社側の姿勢は基本的に変わらないはずなのだが、電子書籍の出現で大きく様変わりを始めている。現役のノンフィクション作家である私の目を通して、出版界の今昔に触れてみたい。
私もプロの作家になる以前には、出版社の編集者だった。新人の発掘、名の売れた作家の知られざる才能の発掘、新分野の開拓といった、人並みに意欲に燃えた編集者生活を送っていた。毎晩、新宿や池袋のバーで、他社の編集者、作家、異業種の人たちと痛飲。出版界の激論を戦わし、情報を交換し合った。身体を張ったアナログ的な編集者時代を送った。
私が出版社を辞してこの世界に入った頃から、ノンフィクションの世界に新しい風が吹き込み、すでに名声を博していた作家と新人作家が融合して「ニュージャーナリズム」を確立させた。柳田邦男、本田靖春、澤地久枝、立花隆、沢木耕太郎、猪瀬直樹、保坂正康、吉岡忍、関川夏央などの錚々たるメンバーたちである。それまでは、能見正比古『血液型人間学』や、多湖輝『頭の体操シリーズ』が、書店のノンフィクションのコーナーに置かれていた時代が長く続いた。
ノンフィクションの世界は取材が命だ。取材するには金がかかる。ところが出版社の依頼以外は基本的に作家の持ち出しとなる。ちなみに拙著『取締役宝くじ部長』(1991年、文芸春秋)の上梓までに、延べ150人以上の関係者を、足かけ4年にわたって取材した。その間の収入はほぼゼロ、カミさんの収入に頼るしかない。その拙著は3回増刷したものの、結局2万部に届かず。収支でいえば大赤字になった。「作品は残るが、金は残らない」。割の合わない仕事は今でも変わらない。
それでも当時の編集者は、何とか良いものを書かせようと頑張った。河出書房新社の編集者・飯田貴司氏はその1人である。彼の叱咤で『文ちゃん伝 出羽が嶽文治郎と斉藤茂吉の絆』『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』『ちんどん菊乃家の人びと』を上梓できた。とくに最後の作品は「第1回蓮如賞」にノミネート。最後の2作品にまで残った(受賞ならず)。『墨田区京島路地の街』(仮題)を準備中の2000年3月2日、飯田氏はくも膜下出血のために急死した。
不思議なことが起こった。飯田氏と共に進めていた企画は、飯田氏の死去と共に葬り去られたのである。基本的に作家を担当する編集者は1人である。多くの作家を1人の編集者が担当し、作家と担当編集者の間で企画を進めていく。その内容はその編集者しかわからない。だから、飯田氏の死は本人の死だけにとどまらず、飯田氏が抱えていた作品も消えることとなる。こうして飯田氏と進めていた4冊目は幻となった。
実は、担当編集者の"退職"や"異動"もまた、作家にとっては命取りになる。「出版社vs作家」という構図は、7対3の割合で出版社が有利の構図になっている。
作家にとって"ハンディ戦"の様子を次回報告したい。それは「契約」に見られた。
(つづく)
【大山 眞人】
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