東京都大田区の京浜島は、羽田空港の北西の東京湾上に位置する人口島で、地域の大半が工業用地で工業団地が形成されている。主に製造業工場がここに移転・集団化して、日本有数のものづくりの集積拠点として成り立ってきた場所だ。島内は全域が工業専用地域の指定で、1丁目から3丁目まである。1丁目には倉庫や物流関連施設、3丁目にはコンテナバースや倉庫、大田清掃工場などが立地しており中小工場はあまりないが、2丁目には製缶、プレス、板金などを中心とする中小工場が集積している。
大田区臨海部では、昭和島、平和島などの人工島も形成されており、京浜島は1968年に埋め立てが始まり、74年に主要部分が完成した。大田区には主に大企業の下請けとしての形態で中小工場が数多く存在していたが、この頃に騒音・振動などの公害問題が顕在化する。しかし、いち中小企業では公害対策をとることが難しかったために、70年代後半に京浜島への集団移転が始まった。
その際、積極的に移転の意志があることが確認された382企業に対して、公害の程度が「東京都公害防止条例」の基準を上回っていること、騒音・振動型工場であることなどの実態調査・経営調査が行なわれ、230企業が移転対象企業として選定された。しかし、オイルショックなどの経済情勢の悪化により、移転を辞退する企業が相次いで、144社が辞退。そのため、96企業の追加選定が行なわれることとなった。
移転事業に際しては、事前に協同組合を設立し、組合ごとの集団移転を行なう事業協同組合方式が採用された。これは、公的融資制度を利用するため、そして集積効果を高めて相互扶助を可能とするためである。大企業と比較して資本力がない中小企業にとって、一度に多額の資金を必要とする移転を、自力で行なうことは困難であった。
こうして、主に製造業工場が京浜島に移転し、企業の撤退・参入を繰り返すなかで、やがて非製造業の企業が増えてくる。その内訳は産業廃棄物の中間処理施設、物流関連事業所、運搬・運送業、事務所などで、全体の4割近くを占めるほどになっており、製造業との混在が進行している状況である。
企業が移転場所として京浜島を選択するのは、「地価の安さ」と「都心へのアクセスの良さ」の2つの理由が挙げられる。地価に関しては、1970年代後半から10倍近く上昇したものの、工業専用地域であることに加えて、都心へ好アクセスであることを鑑みると、依然として地価は比較的安いと言える。
京浜島では、今後においても製造業の数が減り、非製造業の割合が増えていくことが予想される。
(冨士機の項・了)
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