モナコに、欧州随一と言われる日本庭園がある。有名な観光スポットとなっているその庭園は、1982年に逝去されたグレース・ケリー妃の想いをレーニエ公がかたちにしたものだ。その設計・施工を行なったのが福岡市東区に本社を構える(株)別府梢風園だ。欧州での初めての仕事は困難の連続だったという。今年で20周年を迎える日本庭園は、どのようにしてつくられたのか。国内一流の技術は、欧州でも通用したのか――。
<世界で2番目に小さな国に日本庭園をつくる>
「グレース妃はご存命中、モナコに日本庭園をつくりたいと熱望していらっしゃったとうかがっております。その思いをレーニエ公が実現されたのです。私たちが精一杯仕事をさせていただけたのは、グレース妃への大公の思いがあったからだと感じています」。
モナコ公国はフランスの南側、地中海に面した世界で2番目に国土面積が小さい国家である。広さは2.02km2。福岡市中央区が15km2であることを考えれば、その小ささはわかるだろう。その国土のほとんどが山地で、平地は極めて少ない。人口は約3万6,000人。1861年に独立を宣言し、1911年にモナコ憲法が制定され、93年に国連加盟を果たした独立国家である。住民のほとんど(約8割)が外国国籍。個人居住者には所得税を課さない租税回避地(タックス・ヘイブン)であるため、世界中の富裕層が集まってくる。F-1モナコグランプリやラリーカーレースが有名だ。立憲君主制度が敷かれており、大公が元首である。2005年から大公の位にはアルベール2世公が就いている。
そのモナコ公国のなかで、ひときわ目を引く人気の観光スポットの1つが日本庭園である。先代のレーニエ3世公の存命中、国家プロジェクトとしてつくられたものだ。広さは8,000m2。海を埋め立ててつくられた地下駐車場の上に位置している。日本人の誰が見ても日本らしいと感じる本格日本庭園である。
この庭園を手がけたのが、福岡市東区に本社を構える(株)別府梢風園だ。冒頭のコメントは、同社代表取締役社長の別府壽信氏によるもの。なぜモナコに日本庭園があるのか。そこには、先代大公妃であるグレース・ケリー妃の思いがあった。
<グレース妃の想いをかたちに>
グレース妃は、華道をはじめとした日本文化全般に強い関心を抱いていた。モナコに日本庭園をつくりたい。その想いは強かったと言われている。82年、グレース妃は自動車事故で逝去された。存命中に果たせなかった日本庭園への想いを先代大公のレーニエ3世公が受け継ぎ、実現させたのである。
「外務省の方を通じて、モナコに日本庭園をつくりたいと大公がおっしゃっていると伝えられました」。
90年、大阪で開かれた国際花と緑の博覧会に、別府梢風園は日本庭園を出展した。その博覧会で名誉賞を受賞した庭を、レーニエ3世公の命を受けたモナコ公国建設大臣が見て発注を決めたのである。数度の面談を経て、モナコ政府との契約成立となった。
(つづく)
<COMPANY INFORMATION>
(株)別府梢風園
代 表:別府 壽信
所在地:福岡市東区青葉1-6-53
設 立:1976年6月
資本金:8,500万円
URL:http://www.shoufuen.co.jp/
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