とはいえ、別府梢風園にとって初めての外国政府からの受注である。困難なチャレンジが始まった。
「設計段階から困難がありました。地下駐車場の上ということで、地面に凹凸をつけるにも限界がありますし、建築強度の制約を受けることにもなりました。そこに巨大な石を滝口に使うため、強度、景観、納まりなどに頭を悩ませました」。
細かい強度計算をし、工夫を重ねて設計をしたという。施工でも苦労を余儀なくされる。日本庭園をつくれる職人などがいるはずもないし、気候も異なる。庭に使う資材も日本のやり方が通じない。石ひとつとっても、どこから持ってきたらいいか皆目見当がつかない。まさに手探りから始まったのである。
「約4,500tの石材はコルシカ島から取り寄せました。モナコには土が少ないため、土も用意しなくてはなりません。客土はフランスから取り寄せました。松や八重桜などの植物もヨーロッパ各地のものです。灯篭など現地調達できないものは日本から持ち込みましたが、多くはヨーロッパ各地から調達しました」。
<身振り手振りで意思疎通>
資材の目星がついたら、次は施工である。日本からは同社会長である別府保男氏を筆頭に、数人の職人がモナコ入りした。現地のスタッフを指導しながら共同作業をしたのだという。
「日本庭園をつくるのは初めての経験という方ばかりでした。現地の方にとっては困難な作業の連続だっただろうと思いますが、本当に一所懸命にやってくれたと思います。現地スタッフは、すべてモナコの国家公務員です。まじめさ、品性はさすが欧州の先進国だと感じました。通訳の方もいらっしゃいましたが、毎日、毎時いてくれるわけではありません。多くの場合、身振り手振りでのコミュニケーションをとり合いました。けれども、スタッフの皆さまと私たちの情熱で、言葉の壁はほとんど感じませんでした」。
モナコ特有の事情もあった。まちが欧州じみすぎているのである。欧州の国であるから当然ではあるが、日本とは庭園外の景色が異なる。庭の内側をどれだけ日本風にしても、外の景色が見えるとギャップが生まれてしまう。しかし、逆に外の景色を取り込み(借景と呼ばれる日本独自の考え方)、日本庭園としてアレンジしたのだという。異空間を満喫してもらう工夫だ。そこにも腐心したと言う。
1994年に苦労を重ねて竣工した日本庭園は、今ではヨーロッパ随一のクオリティと評されるまでになったのである。
「日本庭園は世界各地にありますが、それを維持し続けるのが容易ではありません。モナコのすばらしいところは、維持をしっかりし続けているところです。これはレーニエ公のグレース妃に対する思い、それを受け継いだアルベール公の両親に対する思いがあるのだと思います」。
庭園には、管理のためのスタッフやガードマンが常駐している。年に2、3回、別府梢風園のスタッフも管理に訪れるという。管理を徹底して、維持する。それが欧州随一と呼ばれる所以なのだろう。
今年、庭園は20周年を迎えた。長い友好関係への感謝の気持ちを表すため、6月12日、同社別府保男会長が現地へ赴き亭主となり、庭園内の茶室「雅園」と野点で茶会を開いた。ちなみに雅園の雅(みやびやか)は、英語で言うとグレース(grace)。グレース妃の庭という意味が込められている。グレース妃の想いを、最高のかたちで実現した博多の職人。日本で誇れるものは世界でも通用することが証明された事例である。
(別府梢風園の項・了)
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