<競合他社の台頭を許した責任の重大さ>
「メサージュ」や「avanti福岡」といった競合誌の台頭を許したのは、ガリヤ側にも責任がある。そもそもメサージュは1993年に熊本で創刊した「熊本Nasse」がルーツだ。発行元の(株)サンマークには、ガリヤで副編集長を務めたH氏が移籍している。
この時、長澤社長はH氏とサンマークのA社長と一席をもち、「H氏の引き抜きを許す代わりに、福岡には攻めて来ない」という「口約束」を取り付けた。ところが、A社長はそんな約束なんかどこ吹く風で、97年にメサージュを発行して福岡に上陸した。
また、avanti福岡もエルフ時代から長澤社長と苦楽を共にした村山由香里氏が、ガリヤを独立して創刊した。ガリヤが培ったフリーペーパーのノウハウが、いとも簡単に他社に模倣されたということである。
元スタッフのM氏は語る。「約束なんて簡単に反故にするA社長だから、ガリヤより良いペーパーを作れる自信もあったはず。倒産前を見ても、サンマークは従業員150名の規模で、媒体もページ数もガリヤとは比べ物にならなかった。なぜ、裏切られた時点に気づいて対策を打たなかったのか。もう福岡はメサージュ1冊あれば十分。西広もエルフを廃刊し、中高年向けのグランザにシフトした。でも、社長にそんな発想はなかった」
A氏には裏切られ、村山氏とは袂をわかった。その両者が競合誌を創刊したのだから、長澤社長は自分の無策ぶりを反省しなければならなかった。しかし、何の手も打たなかったのは、全く反省も学習もしていないということだ。
それでもなお、長澤社長はお題目のように「広告を取ってこい」と言うだけ。さらに競争が激化した中で、「1社に5回、顔を出せば、広告は取れるのよ」と、営業手法を変える兆しすら見えなかった。
バブル全盛期ならいざ知らず、時代もマーケットも完全に変わってしまった。今は1ページ30万円の広告を掲載したからといって、ポンと30万円の売上げがつくわけがない。ならば、スポンサーも費用対効果を考えて媒体を選ぶ。
「スポンサーからすれば、おじさんなんかよりも若い子が営業に来た方が話を聞く。景気が良い時なら、ガリヤにもメサージュにも広告を出すかもしれない。でも、今はそんな余裕はないから、規模が逆転したメサージュを選ぶだろう」(M氏)
景気が底を打ったかと思えば、リーマンショックが発生し、企業を取り巻く環境は激変した。それを少しも理解せずに何の知恵もなく、「1社に5回、顔を出せば、広告が取れる」としか言わない。
長澤社長には経営者としての感性がないことがよくわかる。だが、それで経営責任が回避されるわけではない。1日も早く、公の場に出て自分の言葉で善後策を語ってもらいたいものである。
(当記事は各関係者の証言をもとに作成しています)
(了)
【釼 英雄】
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