しかし残った社員によって、安価なデンプンから100%麦芽糖に変える世界初の技術開発に成功。大塚製薬との共同開発によって「マルトース」を発売し、赤字から黒字経営へ転換を果たすことになり、第一関門を通過することができた。
その翌年、弟の靖が大学を卒業し林原に入社。その後は良い意味でも悪い意味でも兄弟二人による同族経営がスタートすることになった。
マルトースの成功によって研究部門を独立させ、(株)林原生物化学研究所を設立。バイオ企業として本格的に舵を切ることになったが、採算を度外視した研究開発費の負担は以後林原の財務に重くのしかかることになっていく。
ヒト細胞インビボ増殖法による抗ウイルス・制がん剤インターフェロンの生産技術を確立。世界各国で特許を申請。「インターフェロンの林原」として世界でその名が知られることになるが、林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンとの競合に、効率で劣っていたことや、販売協力関係にあった大塚製薬の社長が新薬開発をめぐる汚職事件で、社長を退任したことなどにより大きな赤字を生む要因となった。
また、父一郎の後姿を追うように不動産投資に力を入れるようになる。新宿歌舞伎町に林原第2ビルを竣工、また京都駅前に京都センチュリーホテルの開業、カナダ・トロント中心街の大型テナントビルを買収するなど、不動産購入によって借入金が膨らんだことに加え、83年に創業100年を迎えた前後から、会社を良く見せるため粉飾決算に手を染めていくことになる。
(つづく)
【北山 譲】
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