久しぶりに台湾の友人と会った。この席上で、八田與一のことが話題に上った。友人から、日本人は八田與一の台湾での功績をもっと知るべきだと力説された。日台友好は日本の安全保障に直結する。ここで改めて、日台友好の基礎を築いた八田與一について紹介したい。
台湾では初代民政長官であった後藤新平以来、マラリヤなどの伝染病予防対策が重点的に採られ、八田も当初は衛生事業に従事し、嘉義市・台南市・高雄市などの各都市の上下水道の整備を担当した。その後、発電・灌漑事業の部門に移った。
大正7(1918)年、八田は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾のなかでは広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどの田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。
ダム建設は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、ダム建設が始まった大正9年から烏山頭の宿舎に家族とともに移り住み、昭和5(1930)年にダムが完成するまで工事を指揮した。
そして総工費5,400万円を要したダム建設は、満水面積1,000ヘクタール、有効貯水量1億5,000万立方メートルの大貯水池・烏山頭ダムとして完成した。また水路も嘉南平野一帯に1万6,000キロメートルにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。烏山頭ダムの完成によって、嘉南平野は不毛の地から緑の大地に生まれ変わり、嘉南平野は台湾最大の米穀産地となった。米国の土木学会は烏山頭ダムを「八田ダム」と命名し世界に紹介しているほどだ。
(つづく)
| (後) ≫
<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
※記事へのご意見はこちら