3年後、戦争に敗れた日本人は1人残らず台湾を去らなければならなくなった。烏山頭に疎開していた妻・外代樹は、他の疎開先から戻ってきた子息と会った日の深夜、八田が心血を注いだ烏山頭ダムの放水口に身を投げて後を追った。八田は日本よりも、彼が実際に業績を挙げた台湾での知名度のほうが高い。烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が毎年行なわれている。
烏山頭ダムにある八田の銅像は、ダムの完成後の昭和6年に作られたものであるが、中華民国の蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠され、昭和56年になって再びダムに設置されるようになった。
八田が顕彰される背景には、業績もさることながら、ダム建設時の土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したことや、危険な現場にも自ら進んで足を踏み入れ、50数人が死亡した大惨事の後の慰霊事業では、日本人も台湾人も分け隔てなく行なったことなど、彼の人柄によるところも大きく、エピソードも数多く残されている。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
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