今年2月に、3月末発刊分での休刊を発表した結婚情報誌「メロン」を出版する(株)メロン。同社のブライダルカウンターが、6月20日で閉鎖した。すでに編集部は3月末で解散式を終えているが、6月末をもって残りのスタッフの解散式を実行。今後は、事業規模を縮小する。
1986年の創刊以来、約9万組のカップルを輩出したが、家族婚、地味婚といった小規模の結婚式が増えるなか、同誌の発行部数も減少。また、ネット予約が増えるなかで、同社のブライダルカウンターへの来店客も減少していった。以上のことから休刊を決断した。
「黒字決算」、「無借金経営」、「広告値引き一切なし」、「強気の営業」、「高い費用対効果」――。これらは、メロンという会社に当てはまるキーワードである。
地場の出版社が倒産に至るケースでは、ワンマン経営者が社員にハッパをかけて広告を取りに行かせるが、競合が多くて価格競争となる。値引きをすればクライアントの間で不公平感が広がり、信用を落とす。社員は不満を抱き、入れ替わりが激しくなる。そして、社員が会社の悪口を言いふらす。その結果、会社の評判が落ち、売上もジリ貧となり、給料、印刷代が払えなくなるという"負のスパイラル"に陥るケースが多い。
しかし、メロンは、そういう状況とは真逆にあった出版社と言っても過言ではない。
同社の児島社長によると、1986年の創刊当時は、現在とは異なる会社がメロンを発刊していた。当時、児島社長は、その会社の編集長という立場だったが、その数年後に会社が倒産。メロンは残ったスタッフ4名で、児島社長が社長となり事業を継承して再出発。89年1月1日に発足式を行ない、以後は児島体制で進んでいった。
児島社長は、ブライダルカウンター(結婚式場紹介所)と情報誌の組み合わせを九州および全国で初めて行なった人物として知られる。このような取り組みが再出発から成功し、以後、廃刊に至るまで黒字経営を継続してきた。
しかし、同社はビジネスモデルが成功したから黒字化できていたわけではない。成功者が陥りがちな"見栄を張る"という行為を一切しなかったことも黒字経営の要因の1つ。それとは対照的な企業として、4月に破産したガリヤが挙げられるが、ガリヤの長澤社長はビジネスに成功して、すぐに自社ビルを購入した。だが、メロンの児島社長は自社ビルには目もくれず、賃貸のビルを間借りし続けた。経営者同士の交流も積極的には行なわず、対外的には謙虚な姿勢を貫いていたが、常に、会社やスタッフの成長のためにエネルギーを注いでいたようだ。
また、時間さえあれば、スタッフに講習を行なっていたという。同社は、以前は深夜2時、3時までの勤務が当たり前の時期があったが、業務改善を行なうことで、最低でも深夜11時までには退社できる体制を構築した。改善により余った時間は、次号の企画を考える時間に充てるなど有意義に使うことができた。
児島社長は外にエネルギーを向けるよりも、内側に全力で注いだ。スタッフと向き合う時間を多く持つことで、従業員と一体感を持った事業運営ができたからこそ、躍進し続けることができたのだろう。クライアントはもとより、「従業員のため」という経営方針が明確になっていたことが背景にはある。
(つづく)
【矢野 寛之】
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