林原がマルトースの量産化に成功した86(昭和61)年から、日本経済は好景気に突入するが、翌年の87年10月19日、ニーヨーク株式市場で史上最大規模の株価の大暴落(ブラックマンデー)を発端に世界同時株安となったものの、日本の実体経済への影響はさほど大きくはなく、日本経済はバブルの最盛期を迎えることになる。
日銀は景気過熱を冷ますために、1989年4月まで2.50%だった公定歩合を12月末までに4.25%へ引き上げたものの、その年の12月29日、日経平均株価は史上最高値(38,915.89円)をつけることになった。
林原の保有する不動産の時価評価額は1兆円を超え、また株式投資を積極的に進めたことからその含み益も大きく、林原健社長、林原靖専務にとっては絶頂期を迎えていた。
しかしバブルは長くは続かなかった。91年からバブルの崩壊が始まり、銀行は不良債権処理に追われ、企業は三大過剰債務(雇用・設備・債務)の削減に追われることになっていくが、反対に林原は夢の糖といわれたトレハロースを開発したことや、その保有する資産を背景にメセナ事業にのめりこんでいく様子が(下表3)から見て取れる。
(つづく)
【北山 譲】
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