<熊本県山鹿市の軍人>
私が幼少時代に過ごした熊本県山鹿市に、松尾敬宇中佐のお墓と生家がある。現在、生家には松尾中佐の姪の和子氏とご主人の和年氏がお住まいになっている。松尾中佐は、大正6(1917)年7月21日に生まれ、昭和13(1938)年、海軍兵学校(第66期)を卒業すると、昭和16年12月、ハワイ真珠湾攻撃では第1次特別攻撃隊に志願するが受け入れられず、指揮官付として参加した。
それから3カ月後の昭和17年3月、松尾中佐(当時・大尉)が艦長を務める特殊潜航艇を含む第2次特別攻撃隊がオーストラリアのシドニー湾に向けて出発する。5月31日、夕闇が広がる午後5時過ぎ、松尾艇はシドニー湾を強襲した。松尾艇を含む3隻の特殊潜航艇はシドニー湾の海底を粘り強く動き回り、オーストラリア海軍の艦1隻を沈める。
しかし、松尾艇は敵艦からの爆雷攻撃を受け、その衝撃で魚雷発射管が故障する。何度も魚雷発射を試みたが、発射管が出ず、松尾中佐は艇もろとも体当たりすることを決意する。ところが敵艦にかわされ再び激しい爆雷攻撃を受け、航行不能となり、松尾中佐は拳銃で自らの頭を撃ち抜いて自決する。他の2隻の特殊潜航艇も同じくシドニー湾に沈んだ。
<オーストラリア海軍も認めた松尾中佐の勇気>
日本海軍の特殊潜航艇によるシドニー湾攻撃は、オーストラリア国民に大きな衝撃を与えた。同時にシドニー湾に沈んだ敵国の勇士たちへの畏敬の念を感じずにはいられなかったのだろう。オーストラリア海軍は松尾艇を引き揚げ、シドニー地区海軍司令官ムアーヘッド・グルード少将の指揮により、松尾艇から収容した4人の日本兵の遺体を、海軍葬をもって弔った。葬儀には中立国代表としてスイス総領事が参列し、4人の棺は日章旗で丁寧に覆われ、在泊中のオーストラリア海軍のアデレード・キャンペラ号から派遣された海軍儀仗隊が、弔銃を発射するという、とても厳かな葬儀であった。
この海軍葬に対して、オーストラリア国内で非難の声があがるなか、ムアーヘッド・グルード少将は全国ラジオ放送を通じて、次のように語った。「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら日本海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推賞せらるべきものである。これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高の勇気がいる。これら勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のあるオーストラリア人が幾人いるであろうか」
それ以降、海軍葬に対する非難の声は出なくなった。そしてムアーヘッド・グルード少将の尽力の結果、10月9日、4人の遺骨は、戦時交換船「鎌倉丸」に乗せられ、横浜港へ喪の凱旋をしたのである(ついでに付け加えるならば、出迎えた群衆のなかに、美しい一人の女性の姿が見えた。その人こそ松尾中佐と婚約が整った木下敏子さんだった)。
<戦後の日豪友好が始まる>
それから約4半世紀の年月を経た昭和40年6月9日、豪州戦争記念館の館長夫妻が来日した際、松尾中佐のお墓に参り、生家を訪ねたことから、日豪友好の歴史が新たに刻み込まれることになる。
館長夫妻は松尾中佐の母・まつ枝さんに対して「豪州戦争記念館には、シドニー湾の海底から引き上げられた松尾中佐の遺品が、自国の将兵と同様の扱いで展示されています。多くのオーストラリア国民が松尾中佐を心から尊敬しています」と伝えた。
それから3年後の昭和43年4月、今度は、まつ枝さん(当時83歳)がオーストラリアを訪問する。そしてオーストラリア海軍の招待で海上慰霊祭に参加し、松尾艇が沈んだあたりで、和歌を詠み、花束と日本酒を海中に投げ込んで慰霊した。豪州戦争記念館を見学した際には、松尾中佐が最後まで腹に巻いていた千人針を手に取って抱きしめたりもした。
首都キャンベラでは、ゴードン首相やケリー海軍大臣などによる歓迎を受け、オーストラリアの新聞は、まつ枝さんのことを「勇者の母ミセス・マツオ来る」と掲げ、一挙手一投足を連日トップで報道した。
松尾中佐の勇士から始まった日豪友好の歩みは、まつ枝さんのオーストラリア訪問で日豪間の心の交流へとさらなる発展を遂げたのである。今日、豪州戦争記念館から返還された松尾中佐の千人針は、熊本県菊池市にある南朝の忠臣菊池武光を祀りしてある菊池神社の宝物館に安置してある。また神社の境内には松尾中佐の銅像が建てられ、松尾中佐を偲ぶことができる。
<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
※記事へのご意見はこちら