(2)破綻への軌跡
1996(平成8)年から翌年にかけての金融危機を打開するため、98年6月に発足した金融監督庁(現在は金融庁)は、金融機関の不良債権の処理を厳格に進めるために、企業格付け制度を導入した。
2001年4月小泉内閣が誕生すると、聖域なき構造改革を掲げて竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣(金融担当大臣兼務)に就任。その後の内閣も金融機関の健全化のために数々の金融政策を実施したため、金融機関は一応平穏を保つところまで回復していた。
そんな矢先の2008(平成20)年9月15日、リ-マン・ ブラザーズの破綻(リ-マン・ショック)が引き金となり、世界的な金融危機が到来。
再度の金融危機の到来に、金融庁は金融機関に対して「貸出企業の経営実体の把握」を求めるようになっていく。そんななかで追加融資を求める林原の要請に2010年11月初頭、メインの中国銀行とサブの住友信託銀行が情報交換した際に、林原の「粉飾決算」が発覚する。
メインの中国銀行とサブの住友信託銀行主導で、私的整理の一種である事業再生ADRによって再建を目指すことにしたが、金融機関の足並みが揃わず断念。創業100年を超える名門企業の林原は、粉飾決算の発覚からわずか4カ月後にあっけなく倒産することになった。
(つづく)
【北山 譲】
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