私(記者)が北京の街を歩いていると、ふと、ふわりと宙に浮いたような、気持ちのなかから圧力が抜けていくような気分になることがある。バスの騒音、粉塵、不規則に往来するリヤカー、喧嘩でもないのに大声を張り上げて話す群衆。人の話す言葉は舌を巻き音節をはっきり区切らない「東北口音(トンベイコーイン/東北なまり)」が強く、固有名詞でも出てこないので、日本人の私には聞き取れない。
以前、卓球の福原愛選手が香港鳳凰電視台のインタビューに中国語で直接聞き取り、答えているのを見た。語彙は豊富で流暢だったが、東北口音が強かった。彼女の周囲に東北口音を話す選手やコーチが多かったのだろう。日本人が東北口音を発音するのは難易ではないが、聞き取るのは、話の大まかな流れを理解する必要もあるので、容易ではない。
日本に来ている留学生をはじめ居住者で東北口音を話す人は多い。中国東北地方内の大都市でもある「大連」から来日する人が多いからだ。その他、東北口音を話す地域は、北京、ハルビン、瀋陽などの東北地方。北京は大都市だが、地方出身者が多く、純粋な北京生まれ育ちはそれほど多くない。したがって、在日本中国人ネットワークは大連を中心に形成され、日本で耳にする中国語は東北口音が比較的多いのだ。
北京は、正式には標準語である「普通話」が話されていることになっているが、街を歩けばあちこちから東北口音が聞こえる。北京には中国各地から人が集まってくるが、とくに北方からが多い。南方の人は上海や広州、香港を目指すのだ。
なかでも中国東北人の男性は「大方(ターファン/気前が良く、おおざっぱ)」と言われる。人一倍声も大きく、街中やレストランでも大きな声で話している。周囲の人間に話す内容が聞かれても気にしない。巻き舌の東北口音の存在感が最もあるのは、辺り構わず「大声で」話されているからでもある。声量だけではなく言葉の流れも「大方」。言いたいことをストレートに言い、聞きたいことをズバリと聞いてくる。会話の駆け引きもないのだ。
日本では幼児期から周囲を気にすることをしつけられ、大人たちですら言いたいことも聞きたいことも表現できない傾向がある。中国に行くと、会話の「原点」を思い知らされる。言葉というのは、自分の思いを伝えるため、語るためにあるのだということを。
中国東北地方出身者としばらく話をしていると、いつの間にか、記者も思いのままをズバリを口にするようになっている。表現の不自由の呪縛から逃れたような感覚になるのだ。
(つづく)
【杉本 尚丈】
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