暫くの間沈黙が続いた後、事情通は重苦しい声でまた話し始めた。
山口銀行の頭取解任」クーデターの舞台裏
生命保険会社との癒着問題。田原頭取は、同行の保険商品の紹介先が一社に偏っていることを問題視して是正を求め、一部役員と激しく対立していた。この役員が解任される前に先手を打ってクーデターを決行。頭取解任の多数派工作は四月頃から進められていたという。
『選択』2004年8月号「経済情報カプセル」より一部抜粋
田中相談役と田原頭取との亀裂を決定的にしたのは、金融庁検査を無事乗り切り、名実ともに山口銀行の顔となった田原頭取が次に手を付けたのは、保険会社との癒着という「パンドラの箱」だった。
その生命保険会社が山口銀行の筆頭株主で、歴代社長が山口銀行の監査役に就任している明治安田生命であれば、特に問題にはならなかったのかもしれない。
しかしその保険勧誘は銀行対保険会社との協力関係ではなく、あくまでも田中氏と幼馴染の保険外務員のS女史との私的な関係であり、S女史が第一生命の保険外務員だったことが、後の頭取交代劇を生む波乱要因となった。
田中氏は部長代理、課長、次長と十数年間にわたり総務部に在席し、組合対策の責任者として組合幹部との懇親に余念がなかった。従業員組合も銀行と協調路線を取る、いわゆる御用組合であった。そのため三役の委員長、副委員長、書記長を無事勤め上げれば、将来銀行の幹部に登用されるという暗黙の了解が双方にあったといわれる。
具体的に言うと、組合の三役出身者は支店長や本部の課長・部長といった山口銀行の主要なポストが約束されており、またS女史のために積極的に保険の勧誘に協力をすれば、更にその上の取締役へ栄達することができる。そのため保険勧誘は阿吽の呼吸で、田中氏と歴代の組合幹部達、それにS女史とのトライアングルによって、さらにその輪を広げていくことになった。
問題はその勧誘の仕方だった。銀行が取引先に生命保険会社を紹介するだけなら問題はないが、取引先へ同伴しての勧誘や、業況の悪い企業に対して保険料ローンを組んで保険に加入させるなど、保険業法に違反する勧誘が繰り返されるようになったのだ。
1992年6月、筆頭専務であった田中耕三氏が頭取に就任すると、その保険勧誘に協力した組合三役出身者は、次々と取締役に登用されていった。
また頭取室には二つの電話回線があり、その一つはS女史専用のホット回線が設置されていたといわれるほど、S女史と田中頭取とは特別な関係にあり、それはあたかも、『三越の女帝』と呼ばれた竹久みちのように絶大な権勢を振うようになっていった。ついには部店長や取締役への選任・更迭までに影響力を行使するようになり、山口銀行の人事は一介の保険外務員に過ぎないS女史の手によって歪められていくことになったのだ。
(つづく)
【北山 譲】
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