ビタミンの発見の歴史には「脚気とビタミンB1」や「壊血病とビタミンC」のように人間の日常生活から発見されたビタミンとは別に、動物実験から発見されたビタミンがある。
20世紀初頭、アメリカでは家畜、特に牛の飼料の研究が盛んになる中で、ウイスコンシン農事試験場のマッカラムが1913年にネズミの成長と増殖のために必要な未知の栄養素として、水に溶けるもの(水溶性)と脂肪に溶けるもの(脂溶性)とがあることを明らかにした。1917年、マッカラムはそれらを脂溶性A,水溶性Bの2種類に分けて発表、脂溶性Aの欠乏した飼料で飼育したネズミには、眼球乾燥症や眼水腫を起こして失明することを報告した。ドラモンドに従って脂溶性AをビタミンAと呼ぶようになった。
日本でも1904年に三重県の小児科医である森正道によって、農山村の貧困な家庭の小児が過食と下痢で腹が大きく膨れ、頭髪が薄くなり夜盲症や眼の結膜炎を起こして化膿、失明する病気があり、脾疳(ひかん)と呼ばれていた。森はこの病気が脂肪の不足によって起こるとして、肝油を与えて治療を行った。同様な病気はその後、ドイツやデンマークでも報告されており、世界各地で見られる病気であることが分かった。肝油からビタミンAを単離し結晶化する研究は、日本の理化学研究所が成功している。
ビタミンAの化学構造は1931年にスイスのカラーが、オヒョウ肝油からの研究で決定した。植物性の食品にはビタミンAが含まれていないが、その母体となる物質が含まれていてそれは色のついた植物に限られていることが1919年ころから観察され、1928年にスウェーデンのオイラーが、カロテンが有効物質であることを確認している。カラーの研究室がオイラーと協力して1932年にカロテンの化学構造を決定した。カロテンにα、β、γ等の種類があることは1931年~1933年にかけて、ドイツのクーンによって明らかにされた。ちなみにビタミンAの化学合成は、スイスのロシュ社が1946年に成功している。
(つづく)
<プロフィール>
伊藤 仁(いとう ひとし)
1966年に早稲田大学を卒業後、ビタミンのパイオニアで世界最大のビタミンメーカーRoche(ロシュ)社(本社:スイス)日本法人、日本ロシュ(株)に就職。「ビタミン広報センター」の創設・運営に関わる。01年から06年まで(財)日本健康・栄養食品協会に在籍。その間、健康食品部でJHFAマークの規格基準の設定業務に携わる。栄養食品部長を最後に退任。