2024年05月10日( 金 )

開発・技術革命に没頭し、60年余 SDGs対応の生コンプラントに行き着く

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

(株)冨士機

学生ベンチャーの元祖

 (株)冨士機の藤田以和彦会長は福岡大学在籍中から「山登りと機械製作」に夢中になっていた。本人に言わせると「父親が零戦開発のプロジェクトメンバーであったから、その遺伝子が流れていたのだろう」ということだ。学生時代から家業の鉄工所に従事してきた。鉄工所は1972年に(株)富士機鉄工として法人化。学生時代からの蓄積を開花させたのであるから「学生ベンチャー」の先駆けといえるだろう。

 設立当初は生コンプラントのメンテナンスを中心に営んできた。当時、生コンプラントメーカー大手の新潟鐵工所から岡山以西の生コン業者のメンテナンスを請け負ってきた。しかし、若さと勢いのあった同氏が「メーカーの下請」だけに甘んじることはなかった。その後は大手メーカーたちと競合する業者へ成長。少なくとも九州エリアでの受注実績は大手と比較しても遜色のない次元まで到達している。

汚泥処理プラントで業績急伸

 同社がグループ売上高100億円に迫る中堅企業に躍進したのは、汚泥処理プラントを開発したからである。藤田会長は「地下鉄工事には必ず汚泥が発生する。この汚泥は必ず処理場に運ばれていく。そこで再生されて埋立地に搬送されてくる。この作業工程を省略する策はないか」と自問自答を繰り返してきた。その自問自答は5年におよんだ。

 こうして得た結論は「掘削土を中性土壌にして再度、埋立砂に造り替えれば現場において処理できるのではないか」ということであった。そうすることで運送過程を省くことができ、処理費などのコスト削減にもつながるとの解を導き出した。だが、ここで立ち塞がったのは現場で汚泥砂をいかにして中性化するかいう問題であった。さまざまな学会に顏を出し、専門の学者たちと徹底的に議論を繰り返した。その研究の成果が「中性固化材」である。

 この中性固化材を掘削土や建設汚泥にブレンドさせる。その中性土砂に再生されたものが改質土として再利用できるのかが難問であったが、専門家たちも中性砂として持続できる有用な資源であることを証明してくれた。ここからが同社の躍進のスタートになった。中性固化材を活用することが認定されれば、汚泥処理プラント製作は同社にとってはお手のものだ。想定した市場は東京都市圏や関西地区である。

 方針を決定した後、藤田会長の行動は迅速だった。羽田空港から車で約10分のところにある大田区の工業団地に進出した。当時、日本の中小企業のモデルと評価を受けていたこの工場団地には手放し案件が数多くあったため、その1つを取得した。同社の運がついていたのが、首都圏高速道路が地下60mを走るように決定されたことである。九州ではとても考えられない受注のスケールだった。

流動化処理土のポンプ打設状況
流動化処理土のポンプ打設状況

    さらに強運は続く。リニア新幹線工事のスタートである。同社の流動化処理土製造プラントや中性化固化改良工法は大車輪の活躍をみせた。リニア新幹線のルート上では品川から神奈川県を経て山梨県境までがこの工法の出番である。名古屋からのルートでは岐阜県境までにおいて必要とされる。おそらく全ルートの40%で汚泥処理工法が活用され、トータルで400億円の受注が予想される。大阪から名古屋までのルートの工事でも今後同社の工法の出番があるだろう。この汚泥処理工法がグループの売上高を100億円規模に押し上げた要因である。

環境負荷低減型生コンプラントの提供

 生コン関連の経営者の鼻息は荒い。5年前までは「もう止めようかな」と泣きべそをかいていた人たちが天下を取った気分で傲慢になっている。どの企業も経常利益率10%以上を堅持しているのだ。生コンの出荷ベースが伸びていないのにどうして高収益を上げられるようになったのか。その答えは簡単だ。業界が結束して値上げを強行しているからである。業界の経営者の大半は儲けることしか眼中にない。

 しかし現在は「地球環境に配慮することなく儲けることだけを最優先する」経営姿勢を世間は許さなくなった。なかでも大きな問題は残コン・戻りコンである。これはまさに産業廃棄物である。藤田会長の調べによると「残コン・戻りコンの発生率は生コン出荷量の約2%です。年間約8,000万m3の生コンが製造されているので、残コン・戻りコンの発生量は約1,600万m3と推察されます。そのため生コン会社は毎年大量の産業廃棄物(残コン)と約10万tにおよぶCO2を生み出していることになります。この事実が世間に知れ渡れば、生コン業界はまるで地球の環境を破壊する業界と総批判を浴びる危険性もあるでしょう」と警告を発する。

環境負荷低減型生コンプラント
環境負荷低減型生コンプラント

    そこで「社会から尊敬される生コン業界をつくろう。これが私のご奉公と肝に銘じて頑張ってみせる」と宣言する。具体的に貢献するため、SDGsに対応した「環境負荷低減型生コンプラント」を提供する。「環境負荷低減とCO2削減」の理念を掲げたモデル工場は2021年4月、太宰府市にオープンした。着想から約3年の研究と設計・工期をかけて、ゼロエミションを実現させたのである。

 「この環境負荷低減型生コンプラントにも改善余地はまだまだ無数にある。私の60年余の研究開発の集大成を具現化させたい。ある程度収益性を上げられる企業になったならば、経営者たちも社会に目を向け、貢献することが重要である。社会の調和が保たれてこそ企業が成立する」と強調する。同社の社長は長男・岳彦氏、グループの生コン企業の舵取りは次男・桂氏と事業継承の布石は万全である。藤田会長の開発エネルギーは100歳まで絶えることがない勢いである。


<COMPANY INFORMATION> 
代表取締役会長:藤田 以和彦
代表取締役社長:藤田 岳彦
所在地:福岡市博多区博多駅東1-10-30
    冨士機博多駅東ビル
設 立:1972年9月 
資本金:5,000万円
TEL:092-432-8510
URL:https://www.kk-fujiki.jp

<RECRUIT> 
募集職種:機械設計、制御設計、
     製造(プラント事業)
応募資格:大学、短大、高校、高専卒
     または卒業見込みの方
問合せ先:092-432-8510
     info@kk-fujiki.jp 
採用担当:総務部


<プロフィール> 
藤田 以和彦
(ふじた・いわひこ)
1943年、福岡県生まれ。東福岡高校5期生。福岡大学中退後、実父経営の鉄工所に入社。69年9月に事業を継承。72年9月に(株)冨士機鉄工(現・(株)冨士機)を設立し、代表取締役(現・会長)に就任。趣味は登山。

藤田 岳彦(ふじた・たけひこ)
1965年12月、福岡市生まれ。学卒後、(株)冨士機鉄工(現・(株)冨士機)入社。2006年専務取締役を経て20年10月に代表取締役社長に就任。

関連記事