<第一章 維新銀行の沿革(6)>
1927年に公布された銀行法の目的は銀行の基礎を強固にして、預金者の保護を主眼とするとともに、新しい諸種の規制を課することで、銀行そのものの整理を諮ることにあった。要旨は次の通りである。
最低資本金を決め、企業形態を株式会社に限定したこと。これにより全国普通銀行1,420行中半数以上の809行が資格を失うことになった(昭和2年3月末現在)。これらは5年後の昭和7年末までに、その資格条件を満たす必要があったが、政府は単独増資を認めなかったため、銀行経営を続けるには結局合併しか方法はなく、中小銀行は結果として強制的に合併させられることになった。
銀行法が公布されて以降、日本国内では銀行の再編を進める政府の方針に基づき、昭和3年から7年末までに864行が合併に参加し、それにより消滅した銀行が534行であった。そのうち存続した銀行が330行となり、約6割に当たる470行が昭和7年までの5年間で消滅している。これは昭和19年3月の大合同前の金融再編の序章であったと言える。
西部県下にはまだ13行が存立しており、事態を憂慮した政府は大蔵省検査官を県に派遣し、県知事を通じて、県下銀行の合同促進についての各行の意見を聴取することとし、1927年10月26日県庁に各行代表を召集した。ここに百六十銀行の頭取の他、11行13名が集まった。本会合に村山亨西部県知事および中川雅治大蔵省検査官が出席し、銀行合同の必要性を強く訴え、県下の銀行合同は急務であり、尚一層合併に向けた具体的な取り組みを推進するよう強く要請した。県や大蔵省の強い意向を受けて、西部県下に13行あった銀行は、合併や清算などにより6行に半減したが、その後は各銀行にはそれぞれの事情があり、遅々として合併の機運は盛り上がらなかった。そのため一県一行主義を見据えた大蔵省は、残った6行を如何に合併させていくかが大きな課題であった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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