2024年05月01日( 水 )

いま世界で何が起きているのか?(1)

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広嗣 まさし

報道の名のもとに精査される「事実」

イメージ    ある出版社の編集長がぼやいていた。「どうもニュース番組を見てもわからない。今日ウクライナの何処が攻撃されたとか、何人死んだとか報道されても、それが何を意味するのか、さっぱりわからない。つまり、自分とのつながりがまったくつかめない」と。

 もっともな感想である。断片的な報道ばかりでは、何もわからずじまいであって当然である。しかしそれ以上に深刻なのは、いわゆる「事実」報道の背後に一定のイデオロギーが潜んでいることだ。視聴者は知らずにそれに馴染んでいく。気づいてみれば、「どの国の誰々は悪者だ」という固定観念が、「事実」としてまかり通るのだ。

 世界のニュースをリードするイギリスのBBC。事実報道に徹していると見えて、その内容は意図的に精査され、イギリス政府の方針に合致するよう工夫されている。内政に関するニュースはともかく、とくに外交問題となると、この傾向は著しい。

 湾岸戦争がいよいよ始まろうというとき、BBCはいち早くサダム・フセイン政権がクルド人を虐殺したときの映像を流している。待ちに待って流したという感じだ。これによって、アメリカ軍がイラクを攻めることの「正当性」が、世界中の人々に印象づけられた。

 中国や北朝鮮のニュースはいうまでもなく、いわゆる「自由主義」圏内の報道も、しばしば政府機関の宣伝になっている。「事実」の名の下にこれが行われれば、効き目はてきめんだ。現代世界はそういう危険に満ちている。

ニュースに意味をもたせる~印・グラヴィタス

 日本のニュース番組は事実のみを報道している、とよくいわれる。一見してそうであるが、その内容は厳密に精査されており、事実の一部のみを紹介してほかを削除している。とくにロシアや中国についての報道となると、極力アメリカの思惑に合致するものとなっており、明確なイデオロギーは見えないものの、一定の方向に視聴者を導くことには成功している。GHQ時代の名残というべきか、その延長線から外れることはない。

 その点では、インドのニュース報道はひと味ちがう。インドには政党が100以上あり、ニュースの報道にもさまざまな種類があると聞くが、なかでもYouTubeを通じて世界に発信されるGravitas(グラヴィタス)は出色だ。欧米とロシアのどちらからも距離を保ち、パキスタンに関する報道以外は、比較的公正であるように見える。わかりづらいインド式英語に慣れさえすれば、その鋭いニュース分析から得られるものは多い。

 グラヴィタスのキャッチフレーズは「ニュースに意味をもたせる」である。どのようなニュースも単独では存在せず、必ずほかのニュースと連関しており、その連関を追っていけば世界情勢が全体として見えてくるというスタンスだ。先の出版社の編集長が言った「ニュースと自分との接点がない」は、この番組なら解消してくれるだろう。「なるほどそうだったのか」「やっぱりそうなんだ」と思わされること、たびたびである。

欧米路線と異なるものの見方を

 グラヴィタスが客観報道をしているかとなれば、必ずしもそうではないだろう。しかし、他の国のニュース番組から漏れ落ちたテーマを執拗に追う姿勢には、感心させられる。例を1つ出そう。

 まだコロナウイルス全盛期のころ、あるアメリカの上院議員が同国国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長を責めて、「アメリカはお前の尽力で武漢の研究所に資金提供をし、米中共同で人間に感染しやすいウィルスの開発を行っていた」と迫った。世界のほとんどの国で報道されなかったこの一件を、グラヴィタスは何度にもわたって大きく取り上げた。

 多くの国では「陰謀説」として一蹴されたニュースだが、武漢の研究機関に、著名なハーヴァード大学の生化学者が勤務した事実とを重ね合わせてみると、事実無根とはいえなくなる。世界中がコロナで騒ぎ、トランプ大統領がこのウィルスを「武漢ウィルス」となじっていたころ、インドではその背後にアメリカの動きがあったことを見逃していないのだ。

 ちょうどそのころ、中国の某大学に勤めていた知人のフランス人からメールがきた。「コロナウイルスはアメリカが開発したものだということに同意しろと、大学の同僚たちに言われて困っている」というのだ。そのフランス人、結局は大学の体質に堪えきれず帰国したようだが、共産党の支配下にある中国の大学ではありそうな話である。「中国には自由がない」とレッテルが貼られるのも、もっともだ。

 しかし、この話を先の「コロナウイルスはアメリカが開発したもの」という説と関連づけると、中国の大学当局がフランス人教員に「同意」を求めたことにも根拠がないとはいえなくなる。もはやほとんどの国が追求しなくなっているこの問題、現代世界史を理解するうえで重要なことのように思われる。

 イスラエル問題にしてもそうだが、私たちはインドやアラブ諸国の声も聞く必要がある。そうしないと、欧米路線から一歩も出ることができず、物の見方が歪む。

(つづく)

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