九州建設M&A緊急記者座談会~そこに「事業魂」はあるか(中)
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九州屈指のゼネコン九州建設(株)のM&Aは、週末の福岡ビジネス界を震撼させた。いち早く情報をつかんだデータ・マックス取材記者陣は、この知らせをどう受け取ったのか。また、かつて福岡銀行の全面的なテコ入れが必要なまでに落ち込み、そこから見事な復帰を見せた同社が、なぜ今M&Aの選択をしたのか。記者による座談会で読み解く。
福岡銀行による強力なバックアップ
A リーマン・ショック前の時期のこと、当時の辻長光社長と高松組の高松宏社長は、2週間に1回は福岡銀行に呼ばれていたそうだ。高松社長は、「辻社長はいいよな、資産があるから銀行との話もあっという間に終わる。うちは事業の進捗や受注の状況、資金繰りの計画まで厳しくチェックされる」とこぼしていた。実際、このころは一族や関連会社に20億円を超える資産があったらしい。08年秋にリーマン・ショックが起きて、翌09年に高松組が倒産する。このとき、高松組と九州建設は、マンションデベロッパーの(株)ユニカから同じ仕事を請けていた。同じ仕事を請けていながら、九州建設は生き残って、高松組は潰れてしまった。
B 建てたマンションを購入する予定だった(株)リプラスが経営破綻したために、できあがったマンションが宙ぶらりんになってしまった。ユニカが売却先を探しましたが、見つからず。ユニカは、九州建設の工事代金をマンションの売却益で払うつもりだったから、それも入らない。九州建設も高松組も、これは進退に窮したと思いますよ。しかし結果は明暗が別れましたね。
A 高松組は前受け金を担保にお金を借りまくっていたわけで、もうどうにもならなかっただろう。福岡銀行は九州建設にふくおか債権回収(株)から山内征史氏を送り込んで副社長に据えた。それから10年には引退していた78歳の辻長英元社長をカムバックさせた。社長だった長光氏を社長室長にする異例の人事だった。
B 山内氏ら福銀からやってきたメンバーは13年には退任。一応は、辻家に経営の主導権を戻したかたちになりますね。
A 福銀は一度面倒を見たところはとことんまで付き合うけれど、辻家を持ち上げても先が明るいとは判断しなかったんだろうね。そこで、土木に強い徳倉建設と建築に強い九州建設の組み合わせを考えたんだろう。辻家としても、九州建設の株にそれなりの値がついていて、現金化するとまとまった額になる今だからこそ決断したんだろうな。
D 徳倉建設は福岡に支店はありますが、あまり活動実態はないでしょう。
C 20年ほど前は活発に仕事をしていました。やはり土木が強いイメージですね。薄れている九州での存在感を立て直すために買収する、という考え方はあります。
A 福岡に進出するために、一定の地歩を築いている地場のゼネコンを買うのは十分考えられる選択肢だよ。鹿児島の(株)江藤建設工業が福岡の匠建設(株)を買ったようにね。
B 今、ゼネコンでは技術者が不足しています。厳しい競争を勝ち抜こうとするなら、技術者を抱え込むためにゼネコンを買うのは不思議ではない。人を確保するのが第一です。
(つづく)
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