日韓交流よもやま話(1)
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福岡県日韓親善協会 副会長/ムライケミカルパック代表 村井 正隆 氏
2019年7月4日に福岡県日韓親善協会の定時総会後、同協会で副会長を務める村井正隆・ムライケミカルパック代表取締役が「日韓交流よもやま話」と題して講演した。同協会の成り立ちや、進藤一馬元福岡市長や亀井光元福岡県知事ら政治家のほか、新木文雄元福岡銀行頭取といった経済人とも訪韓したエピソードが語られ、日韓関係にとって必要なものは「好意」であるとの提言もなされた。ここに日韓が再び友好関係を結ぶためのヒントがある。
日韓親善協会の成り立ち
早いもので、当協会が創立して、44年になりました。時系列で遡りますと、日本が韓国を植民地にした日韓併合が109年前になります。そして第二次大戦の終戦が1945年8月15日、74年前です。この年に日本の植民地から解放されて、新生韓国がスタートしました。そして、日韓の国交正常化が、54年前です。その10年後、当協会は発足しました。
なぜ、当協会が発足することになったかといいますと、国交正常化後、両国の国会で、日本では日韓議連が、韓国では韓日議連が発足しました。しかし、両国民の友好親善といいますか、国民同士の関係が深まらなければいけないということで、両国政府が話し合い、日本では各都道府県に、韓国では各道に、1つずつ親善協会をつくろうということになりました。
福岡では、当時の九州電力会長だった立林潔氏のところに話がありました。立林氏は「そりゃいいことだ」と言い、初代名誉会長に就任されました。その時、立林会長から私に「なにかと韓国との間に関係があるから、加勢してくれないか」という話がきました。私は「いや加勢とか何とかより、ぜひ参加させてください」と申し上げて、参加させていただきました。
初代会長は、当時の九州電気工事、現在の九電工の当時の会長だった永野勇さんが(協会の)初代会長に就任されました。そして二代目が、福岡放送(FBS)の社長でありました、安浪栄基さん。そして3代目が平田正蔵さん。安浪さんの後にFBSで社長を務めた方です。そして4代目がJR九州の初代社長で会長もされました石井幸孝さん。そして5代目が、現在の田中浩二会長です。田中浩二会長については皆さま、すでにご承知のことと思いますが、JR九州の2代目の社長で、その後、会長をされ、今は特別顧問をされています。
私は、立林潔名誉会長のカバン持ちをいたしておりました(会場から笑い)。その立林名誉会長から創立時に「5人常任理事を置くから、君も常任理事になれ」と仰せつかり、常任理事になりました。2代目の安波会長の時に、副会長にご指名いただき、それから38年間、副会長をしております。
私と韓国の皆さまとの関係がスタートして、今年でちょうど50年になります。いろいろな方と出会い、親しくさせていただいています。現在、親善協会のいわゆる「名誉顧問」は歴代、韓国の総領事が就いています。顧問には県知事、それから福岡市長、北九州市長。それから在日韓国人団体である民団の団長さんがおられます。九州電力の佐々木有三副社長が、私とともに副会長をしています。
韓国側の副会長は湖月代表の朴元淳という方で、ラッキーグループ会長の金海龍海さんが副会長をされています。
日韓親善協会中央会という会があります。この中央会は、福岡よりも1年遅れでスタートしています。今日は、日韓親善協会と韓国との関係、福岡と韓国との関係。また、私が個人的に関係したこと、あまりメディアに載らなかったようなこともお話ししようかと思っております。
(つづく)
<プロフィール>
村井 正隆(むらい・まさたか)
福岡県三井郡北野町(現・久留米市北野町)出身。県立久留米高等学校卒。米国ニューポート大学大学院経営博士課程修了。1967年4月、ムライケミカルパック(株)を設立。99年、福岡市より市政功労者表彰。2007年、大韓民国より修交勲章崇禮章を叙勲。18年11月より公益財団法人キワニス日本財団理事。関連キーワード
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