日韓交流よもやま話(3)
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福岡県日韓親善協会 副会長/ムライケミカルパック代表 村井 正隆 氏
政財界の人々がもった韓国への親近感
まあ、長い歴史がありますから、韓国と日本の間でも色々な事がありますが、終戦70年の記念日に、天皇陛下(当時、現上皇)が、「わが天皇のご先祖には、韓民族の血もいただいている」と公式の場でお話になられました。韓国と日本。韓国人と日本人。おそらく千年、二千年、三千年前をみれば、同民族ではないかというふうに思います。
これに関連して、1つお話します。福岡銀行の頭取、そして会長をされました新木文雄さんという方がいらっしゃいました。この方は東大を卒業されて、日本銀行に入行されました。そして福岡銀行の頭取含み専務で来られた方であります。福岡銀行さんが韓国・ソウルに事務所を開設するということで、ちょうど、新木文雄頭取が株主総会で会長になられましたのが6月24,5日でした。ソウルの事務所開設は7月1日だったわけで、そこでのテープカットが、会長になられての初仕事だったわけであります。
その時に、(新木会長から)「村井さん、一緒にきてくれないか」ということで、「いいですよ」といってご一緒しました。その時に、「ソウルでは何かメディア対応をされますか」と申し上げたら、「イヤイヤ、そんなことはとてもとても(できていない)」という話でした。
日本の日本経済新聞と同じように、韓国にも韓国経済新聞というのがあり、社長の朴勇正さんとは大変親しい仲でした。その方に趣旨をお伝えして、「ぜひ新聞に載せてください」と申し上げたら、「記者を送っておきますから、メモでいいからプロフィールを書いてもらえませんか」ということでした。新聞には「人」という事で、顔写真入りでかなり大きく載せていただきました。
新木文雄さんがちょうど会長になられた時には、日銀には新木さんと東大入学も日銀入行も一緒で、お互い酒豪だった三重野康さんが、日本銀行の総裁をされていました。
この方は大分出身でしたけれども、新木さんは京都のご出身。その後、釜山にもご一緒したことがあります。釜山に行った時は華子さんという奥様と一緒でしたが、新木会長と一緒にお酒を飲んでいるときに、「村井さん、私の先祖は、朝鮮人ですもんな」とおっしゃいました。「どうしてですか」と聞きましたら、「私の先祖は宮大工――寺社仏閣を建てる大工ですけれども、宮大工は高等な技術をもった人間としてわたってきただろう。それが千年前かどうかはわからないが、間違いなく、私の先祖は朝鮮人ですよ」といって、非常に誇りをもって言われていました。
この方はとにかく酒が強くて、もう一緒にお酒を飲んでいたら、3日間ぐらい起きられないぐらい、酒が強い方でありました。ところが、この方は急逝されました。非常に残念な思いをしました。
亀井光知事、訪韓の舞台裏
実は時の幹事長でありました李秉禧という方と食事しているときに、日本の地方の自治体の長。要するに県知事を「誰か招待したい」とおっしゃいまして、「誰か適当な方はおられませんか」という話になりました。
「それなら私が住んでいる福岡県の県知事が一番いいですよ」と言いましたら、「その方に自分名義で招待状を出しますから、ご案内できますか」とおっしゃるので、「私が亀井福岡県知事にお話をします」とお返事しました。
亀井知事は、労働省の事務次官から参議院議員になられて、福岡県知事を4期、16年間つとめられましたが、その亀井光知事の3期目にそういう話になりました。亀井知事は、「村井さん、行こう!」という返事でした。行きましたのは、その時の秘書室長で後に出納長になられた大嶋亮介さんという方と、専任秘書の小池浩輔さんと私の4人。韓国から正式に招聘状をいただき、ご一緒しました。飛行場には後に国会副議長になられた崔永喆という国会議員に迎えられて、最初は、国立墓地にまいりました。
貴賓で迎えていただいたので、韓国外務部がベンツ2台を出していただき、白バイが先導してくれました。そして、国立墓地にまいりましたら、陸・海・空・海兵4軍の儀仗兵が捧げ銃をするところでした。「日本 福岡県知事 亀井光」という花を用意しておられて、儀仗兵が横から手を添えるかたちで、知事が献花しました。
この時は、ソウルに4泊5日で参りました。初日は李秉禧氏のご招待で会食会。2日目は、私の親友である双龍財閥の金錫元会長が一席を設けてくれました。そして3日目には(高速道路をパトカーの先導で)慶尚南道の知事の趙さんという方のところにまいりました。そして4日目は釜山に行き、釜山の市長さん――崔さんという市長で、日本の釜山の総領事だった福田孝三郎という方もお呼びしました。そして、釜山から福岡へ帰ってきました。
そのころは、ちょうど、朴大統領の奥様である陸英修夫人が文世光という在日韓国人の青年から射殺されたころです。朴大統領が8月15日に、演説をされているときに、文世光という青年が狙撃したわけであります。朴大統領に当たらずに、後ろに座っておられた陸英修夫人にあたり、残念ながら亡くなられました。その時、国務総理をしていたのが、崔圭夏です。
この方は、昔の東京高等師範学校。今の筑波大学の前身の卒業で、大変、日本語が堪能でした。この崔圭夏国務総理にも亀井知事はお会いになりました。そして、国会議長や、要人の方とも会うことができ、亀井知事も非常にお喜びになりました。
(つづく)
<プロフィール>
村井 正隆(むらい・まさたか)
福岡県三井郡北野町(現・久留米市北野町)出身。県立久留米高等学校卒。米国ニューポート大学大学院経営博士課程修了。1967年4月、ムライケミカルパック(株)を設立。99年、福岡市より市政功労者表彰。2007年、大韓民国より修交勲章崇禮章を叙勲。18年11月より公益財団法人キワニス日本財団理事。関連キーワード
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