2024年12月22日( 日 )

日韓交流よもやま話(6)

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福岡県日韓親善協会 副会長/ムライケミカルパック代表 村井 正隆 氏

2つの質疑応答から見えるもの

 名古屋高等検察庁で吉村徳則という検事長から、「村井さん、こっちきてちょっと韓国の話をしてください」と頼まれたので講演をしました。その時に、「ドイツはあんなに無茶苦茶なことをして、ユダヤ人大量虐殺なんかをしているのに、今のヨーロッパでは、ほとんど、ドイツについての恨み事がないのは、どうしてでしょうか」という、良い質問がありました。

 私が答えとして申しあげたのは、「ドイツは、ヒトラーの側近というような人たちが、もしアマゾンの奥地に隠遁生活をしているということであれば、ドイツの官憲が行って逮捕して、連れて帰ってドイツの国内法で裁くということをしました。そしてポーランドであれ、どこであれ、歴代のドイツの首相が行って、国立墓地に跪いて、『まことに申し訳なかった』というお詫びをし、もちろん財政的な補償もする。そういう中で、隣国から、『もうわかった』と。『もうそれだけの気持ちはわかったから、もう恨まないで、今後、仲良くしていこう』ということがあったからです」というものでした。

 逆に、日本はどうでしょうか。私の叔父も大正元年生まれでしたが、早稲田大学を卒業して南方に派遣されて戦死し、骨のかけらも戻ってきませんでした。白木の箱に、小石が一個と、名前が書いた紙が入っていました。それが戦死した証拠というのです。結局、日本の場合は、学徒動員のように若くて将来が有望な、期待されている人たちをゼロ戦の特攻隊にしました。あるいは、兵站部隊が追いつかないほど、戦線だけはどんどん拡大していきました。そして、大本営発表ということで、国民には嘘ばっかり放送しています。

 さんざん負けていても、「勝った、勝った、また勝った」ということを放送されて、国民は、本当のことを知らされていませんでした。極東裁判の時に、いわゆる戦犯といわれる、東条英機を始めとした人たちは、全員、自分には戦争責任はないといいました。結局、戦争責任を認めたのは昭和天皇だけだということでした。ですから日本人は、そういうところがちょっと、どうなのかと思うところがあります。

 もうひとつ申し上げますと、私が佐賀大学で、学生や教授の方々の前で講演をしました。誰か質問はないですかといいましたら、男性学生が手を挙げて、「先生の話は自虐的じゃないですか」といいました。「そうですか。じゃあ私の話のどのへんが自虐的なのか」と聞きましたら、黙っている。

 私は、逆に質問しました。「君が子どもの時に、だれか、友人であれ誰であれ、叩かれて、いわゆる障害者になったとしよう。そして君の生活は大変な、困窮の生活になったとして、何十年かして、その加害者と再会した。その時に、加害者のほうが、「君、何十年も前のことだから、俺のことを恨むな」と言われて、『はい、恨みません』と君は答えられますか? 君が、もう自分も何十年もたって、『こういう体でこうゆう生活にも慣れた。もう僕は君を恨んでないから、君ももう気にしないでもいいよ』と。こう言ったときにようやく和解が生まれるのではないか。返事をしてください」といいましたが、黙って座ってしまって、一言もいいませんでした。

 加害者・被害者ということであれば、やはり被害者が納得のいくようにする。加害者がそういう気持ちで接しなくてはいけません。時間が経っても、それは仕方がないと思います。我々の年代が加害したわけではないのですが、先祖の徳も、罪悪の問題も、やはり子孫が担わなければなりません。そういうことでなければならないと私は常々思っております。

草の根運動の志

 金守漢、韓国15代国会議長が19年3月から韓日親善協会中央会の会長から名誉会長になられました。この金先生は、本当は、日韓国交正常化には大反対をされていた(当時の)野党の政治家でした。ところが、国交が正常化してからは、本当に献身的に日韓のため、韓日のために熱心に仕事をされた、すばらしい政治家でした。また、会長には、柳興洙という駐日大使をされた方が就きました。地方の道知事もされ、長官もされた立派な方です。おふたりは、「結局、日韓の関係、韓日の関係がしっかりした絆で、いい関係にならなければ、北東アジアの安定はない」ということを常々おっしゃっています。

 金鍾泌元国務総理は、首相を2度された方です。この方も日韓議連の会長などをされ、非常に尽力しておられる方で、金守漢会長とともにとても日本語がお上手です。日本ももう少し韓国に対する過去の贖罪という気持ちをもって、人間関係をつくれば、もっともっとよい関係になる。できるに違いないと考えております。

 事実、中曽根総理のころは何1つ、問題はおこりませんでした。ところが、今の安倍政権になったら、問題続出です。外国人であれ、国と国であれ、人間個人であっても、原則は一緒です。自分が好意をもたなければ、「私はあんたを好きじゃないが、あんたは私を好きといえ」と迫っても、そんなことができるわけがありません。好きと思えば向こうも好意をもってくれます。こういう人は嫌いだと思っていれば向こうも嫌ってきます。「世は鏡、人は鏡」で、結局は写し鏡であるということだと思います。

 いずれにせよ、1日でも早く、日韓の関係がいい方向になるようにと願っていますが、何と言ったって韓国は、日本にくる外国人のなかでダントツ一位です。日本から韓国に行く人よりも、韓国から日本に来る人の方が断然多いのです。外国人の2番目は中国の方です。中国人の爆買いとか何とかでメディアを騒がせておりましたけれども、一番の来日者数は韓国人なのです。このように韓国と日本は、距離的にも近く、歴史的な関係も深いのです。

 日韓親善協会、あるいは韓日親善協会が中心になって、日韓関係の強化。あるいは韓日関係の強化につながるように、ささやかでも努力をしていきたいと考えています。

 どうぞ皆さま、今後とも、ご支援ご協力のほどよろしくお願いいたします。

(了)

<プロフィール>
村井 正隆(むらい・まさたか)

 福岡県三井郡北野町(現・久留米市北野町)出身。県立久留米高等学校卒。米国ニューポート大学大学院経営博士課程修了。1967年4月、ムライケミカルパック(株)を設立。99年、福岡市より市政功労者表彰。2007年、大韓民国より修交勲章崇禮章を叙勲。18年11月より公益財団法人キワニス日本財団理事。

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