続・鹿児島の歴史(10)~西郷・大久保以後の人物について~
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西南戦争で多くの有為な人物を失った鹿児島ですが、明治期の人物として森有礼(初代文部大臣)、川路利良(初代警視総監)、五代友厚(初代大阪商工会議所会頭)等がいます。軍人が圧倒的に多く、海軍の西郷従道・東郷平八郎、陸軍の大山巌等がいます。とくに日清・日露戦争時の海軍は、ほとんどが鹿児島出身者です。ただし、大臣まで務めた西郷従道と大山巌は、政治に言及することは少なく、政治家としての働きは見せていません。
ここでは、首相を務めた3人(黒田清隆・松方正義・山本権兵衛)と宮内大臣等を務めた牧野伸顕の4人を取り上げます。
黒田清隆(1840~1900)について。通称了介。戊辰戦争のとくに箱館での戦い(旧幕府軍は榎本武揚)で勝利したことは大きな功績で、榎本の助命にも奔走します。明治初期の10年余北海道開拓の最高責任者でした。薩長閥の関係から大日本帝国憲法発布時の2代首相に就任します。ただし、独断専行な面があったり夫人の死が酔ったあげくの斬殺の噂もあったりして明治天皇等の信任は必ずしも厚いものではなく、元老・枢密院議長も務めますが、政治家としての勢力は振るいませんでした。
松方正義(1835~1924)について。大久保の信頼を得て活躍し、財政通となります。西南戦争後、財政難からインフレーションとなりますが、緊縮政策や増税政策をとり日本銀行も設立して経済の安定を図ります。松方デフレといわれ没落する者も続出しますが、一連の財政・経済政策は資本主義の発展を促したものとして評価されています。2回組閣し、2次内閣では金本位制を確立しました。首相よりも通算在位10年におよんだ蔵相としての活躍が多いです。明治天皇の信頼も厚く、大正期は内大臣として大正天皇を支えました。なお、松方コレクションで有名な松方幸次郎は、松方の三男です。
山本権兵衛(1852~1933)について。海軍軍人で、明治中期には西郷従道海相を補佐して海軍の改革、陸軍に対する海軍の地位向上に努め、「権兵衛大臣」とまで言われました。参謀本部(陸軍)下の海軍機関を軍令部として独立させ、海軍を実質的に陸軍と対等にしました。日英同盟実現にも尽力します。大正年間に2回組閣しますが、1回目はシーメンス事件(外国からの艦船購入をめぐる海軍の汚職)で、2回目は関東大震災の復興を精力的に進めていましたが、虎ノ門事件(難波大助による摂政だった皇太子暗殺未遂)で総辞職しました。山本自身は清廉潔白な人物でしたので、首相としては不運でした。
牧野伸顕(1861~1949)について。大久保の次男で遠縁の牧野家を継ぎました(実家で成長)。文部・農商務・外務大臣等を歴任し、パリ講和会議では次席全権で、首席の西園寺公望を補佐しました。後には宮内・内大臣となり昭和天皇の信頼を得ますが、親英米派・自由主義者として五・一五事件や二・二六事件ではテロの標的となりました。引退の際、昭和天皇は泣いて別れを惜しんだといわれています。娘雪子は政治家吉田茂夫人であり、晩年は戦後首相となった吉田のよき相談相手でもありました。
(了)
<プロフィール>
麓 純雄(ふもと・すみお)
1957年生。鹿児島大学教育学部卒、兵庫教育大学大学院修士課程社会系コース修了。元公立小学校長。著書に『奄美の歴史入門』(2011)『谷山の歴史入門』(2014)『鹿児島市の歴史入門』(2016 以上、南方新社)。監修・共著に『都道府県別日本の地理データマップ〈第3版〉九州・沖縄地方7』(2017 小峰書店)。ほか「たけしの新世界七不思議大百科 古代文明ミステリー」(テレビ東京 2017.1.13放送)で、谷山の秀頼伝説の解説などに携わる。関連キーワード
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