2024年11月24日( 日 )

ダブル大臣辞任は「菅官房長官と岸田政調会長の代理戦争」第二弾か――漂い始めた政権末期(レームダック)感(後)

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森 雅子 法務大臣

 この「岸田氏禅譲作戦」の存否はさておき、上り調子を続けて来た菅氏が急に失速気味となったのは間違いない。“菅氏推薦大臣枠”が一つ減るという目に見える形でも現れた。安倍首相と同じ細田派の元少子化担当大臣の森雅子・参院議員(福島選挙区)が後任法務大臣に抜擢されたのだ。自民党事情通はこう話す。

 「菅原大臣の後任には、菅氏が『政治の師』と仰ぐ故・梶山静六元官房長官の長男の梶山弘志・元地方創生担当大臣が就任したが、『菅周辺の順送り。菅さんは何も責任を感じていないのか』という反発が自民党内からも出たのはこのためです。それに比べて河合大臣の後任大臣は細田派から抜擢された。『若手が多い菅派に適任者がいなかった』との側面があるにしても、『二度目の菅派順送り人事は許さない』という安倍首相の報復的なメッセージも込められていたのでしょう。辞任した両大臣とも“身体検査”で内閣情報室(内調)などから傷があることを報告されながらも菅氏が『大丈夫だ』と言って押し込んだという経過があったためです。しかも安倍首相の悲願である改憲論議が10月31日に開かれる予定だったのに、ダブル大臣辞任のあおりで中止となった。

 政権を支えてきた番頭役の菅氏とはいえ、多少の恨みや反感が生じたのは間違いない。少なくとも今回のダブル大臣辞任で自民党内の雰囲気は一変しました。これまでは政権幹部に物申すのは石破茂・元地方創生大臣ぐらいだけでしたが、ビックリするぐらい過激な菅氏批判が出始めるようになった。安倍首相との距離感がさらに広がった気配を察知した自民党議員が、これまで絶大な力を有する菅氏に対する不満や反感を一気にぶちまけたようにも見えます」。

梶山 弘志 経済産業相

 もちろん菅官房長官は政権ナンバー2で安倍首相との対立が表に出ると、政権存亡の危機となりかねないので「当面は水面下の情報戦で叩きあいをするレベルに止まるだろう」(同)。

 これまでは政権を支える番頭役に専念してきた菅氏が、ポスト安倍の有力候補となったことで欲を出しはじめたのは間違いない。参院選ではライバルの岸田氏側近を落選させるのに力を注ぎ、今回の内閣改造で小泉進次郎環境大臣を含めて三人の大臣を押し込むのにも成功したが、ダブル大臣辞任で足をすくわれた。「野党が改憲論議に応じないなら年末か年始に解散だ」という牽制球も、「三人目の大臣辞任なら内閣総辞職か解散だ。今なら勝てる」と勢いづく野党には脅しにならなくなった。

 「しかも週刊文春は他の閣僚ネタを二つ三つ持っているようです。辞任ドミノが起きた時にどう対処するかについて菅氏は知恵を絞り、準備をしているでしょう」(永田町ウォッチャー)。 

 安倍政権の屋台骨が揺らぎ始める兆しを見せ始めたので、ポスト安倍をめぐる岸田氏との“バトル”はいったん休戦せざるを得ないというわけだ。

 しかし両者の跡目争いがスタートした以上、挙党体制で安倍政権を支えるという気運が次第に薄れ、仁義なき戦いへと激しさを増していくのは確実だ。

 「今回のダブル大臣辞任は、政権が終焉に向かってメルトダウンをしつつあることを印象づけるものでした。任期が近づく総理大臣が求心力を失うレームダック状態にこうやって陥っていくのかということも目の当たりにした。『森友加計問題以上の政権末期状態』と表したのはこのためです」(永田町ウォッチャー)。

 こんな政界模様が目に浮かぶ。安倍政権を支えてきた菅氏がポスト安倍候補として急浮上、微妙な心境の変化から安倍首相との距離感が広がった途端、それを察知した永田町と霞ヶ関の住民たち(国会議員と官僚)が「安倍・岸田派 対 菅・二階派」に分裂、水面下での情報戦をスタートさせた。表に見えない形であっても両派のバトルが官僚を巻き込む形で激しさを増すのは確実だ。永田町からは目が離せない。

(了)
【横田一/ジャーナリスト】

注:森雅子・新法務大臣について
 法務大臣となった森氏は細田派で「アベチルドレン」のような存在だ。第二次安倍政権が誕生した2012年12月に少子化担当大臣に抜擢されて、野党が強く反対した特定秘密保護法担当という“汚れ役”もこなした。「特定秘密保護法案『官邸のアイヒマン(北村滋内閣情報官)』と呼ばれる男 本当の黒幕は公安の『妖怪』」(2013年12月18日の週刊現代)によると、首相側近で開成高校出身の北村氏こそ、特定秘密保護法の黒幕と報じられていた。安倍首相の意向の下、森氏と北村氏は世論の反対が強い法案を成立させた仲間同士ということになるのだ。
 当初のイメージは違った。森氏は東北大学卒で、同期は枝野幸男・立憲民主党代表。「枝野氏が初めて選挙に出た時にウグイス嬢をやりました」と話す森氏は、中学時代に父の借金取立に苦しんでいた時に弁護士が救われ、アルバイトをしながら司法試験に合格した苦労人の弁護士。金融庁職員時代には、宇都宮健児・元日弁連会長らサラ金問題に取組む弁護士と共に規制強化をする貸金業規制法改正に尽力、1996年の福島県知事選に立候補した時には弁護士仲間が応援に駆け付けたほどだった。
 しかし特定秘密保護法を担当する大臣になった時には「悪法成立に尽力」「権力に擦り寄った」といった批判が弁護士仲間からも相次いだ。過去の人間関係を断ち切り、安倍首相の指示に忠実に従ったことが、二回目の大臣就任につながったように見えるのだ。

 

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