2024年11月19日( 火 )

24時間365日診療で目指す、まっとうで患者さん本位の歯科医療(前)~医療法人社団博文会

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 「コンビニより多い」と表現されることもある国内の歯科医院。歯科医師数は飽和状態にあり、顧客を獲得できないまま廃院するクリニックや年収300万円以下の「ワーキングプア」歯科医の存在もメディアなどで取り上げられるようになった。口コミサイトが普及し、治療技術とともにサービス内容が厳しく評価されるそんな現代に、「24時間365日診療」を掲げて快進撃を続ける歯科グループがある。陣頭に立つ理事長の波乱万丈の人生は、一篇の物語のようだ。

 

空港口24時間歯科・小児歯科医院
空港口24時間歯科・小児歯科医院

■歯科医療界の徳洲会?

 歯痛は人間の痛覚のなかでも我慢できない痛みの代名詞。日夜問わず襲ってくる歯のトラブルに、全スタッフが真っ向から応えようと奮闘している歯科医院が福岡市博多区にある。勤務する歯科医の腕も確かで、治療を受けた患者の評判もすこぶる良い。24時間・365日、いつでも患者を受け入れ、急な歯痛や欠歯などに良質な保険診療を提供するこの医療法人社団博文会は、歯科医療界の徳州会なのか?

 奄美大島の離島・徳之島で生まれ育った徳田虎雄氏が、日本医師会の猛烈な反対にあいながらも24時間医療を提供する「徳洲会」を全国展開していったのは、島に医師がいなかったために亡くした幼い弟の弔い合戦でもあった。じつは、この24時間歯科の創設者もまた波乱万丈の人生を送り、反骨の精神をその身に強く宿す。立ちふさがる既得権団体との闘いの日々、甘い夢を見がちな歯科医に対しては「あなた、それで本当にいいの?」と問いかけ、日本中に24時間歯科チェーンを展開する夢を抱く。

■歯科技工士から一念発起して歯学部入学

 博文会の平野博文理事長(57)は、福岡県飯塚市の出身。まずはその経歴からして異色だ。高校卒業後、看護師見習いや美容師見習い、さらにバーテンダー見習いなど、本人いわく「ふらふらした」2年間を過ごしたのち、歯科技工士の専門学校に入学。卒業後は歯科医院に勤務するも、自分の母親相手に料金をふっかけた勤務先に腹が立って、「歯医者になってやろう」と決意。翌年、福岡歯科大学に見事合格してみせた。

 歯学部を卒業すると、最低でも5年間は修行期間とする者が多いなか、金もコネもない若者が1年後に開業するという離れ業をやってのける。さらに自院の経営を軌道に乗せると、かねてから疑問だった「なぜ24時間やっている歯医者がないのか」を実践に移すべく行動を起こす。この理事長、努力と行動力がただものではない。

平野理事長。後方の巨大なスピーカーは特別注文で作ったもの
平野理事長。後方の巨大なスピーカーは特別注文で作ったもの

 ――「代々歯科医」という医院も多いなか、異色の経歴ですね。

 平野理事長(以下、平野) おやじが土木作業員で、母親が43歳で准看護師学校に入学したような家庭で育ったので、とにかく家にお金がなかったんです。大学に入学するときも両親が借金してくれたので、在学中から奨学金や入学金の返済を始め、卒業すると一気に毎月23万円の支払い義務がのしかかってきました。勤務先の院長の計らいで、手取り30万を出してもらい返済にあてましたが、月に7万円しか手元に残らない。これじゃあ生きていけないと、1年で開業する目標を立てたんです。開業できなかったら借金で家族がばらばらになってしまう、という焦りもありました。

 うちは父親の収入が安定しなかったので、両親ときょうだい全員が幼少期から新聞配達をして家計を支えたんです。経験者にしかわからないことですが、冬の新聞配達ほどつらいものはない。「もう二度と新聞配達はしたくない。せめて夏は冷房、冬は暖房の効いた部屋で仕事がしたい」という、その一念が私を支えてくれました。

(つづく)

<プロフィール>
医療法人社団 博文会 平野博文 理事長

 1963年福岡県生まれ。九州歯科技工専門学校卒業、福岡歯科大学卒業、歯学博士。1993年ひらの歯科・小児歯科医院開業。1996年、医療法人社団博文会設立。2000年5月、福岡空港そばに24時間急患受付の空港口24時間歯科・小児歯科医院開業。2001年8月、香椎スポーツガーデン歯科医院を開業、現在に至る

(中)

関連記事