2024年11月21日( 木 )

大幸薬品が巨額の最終赤字 「コロナ特需」読み違える(後)

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新型コロナウイルスの感染拡大を受け、マスク以外にも予防グッズとして食卓用アルコールスプレーやハンドソープの需要が増加。大幸薬品は空間除菌剤「クレベリン」の売上が急増し増産に踏み切ったものの、在庫の山を築いてしまう。「クレベリン」の爆発的な人気が仇となってしまった。

クレベリンの一部商品で景表法違反

 追い打ちをかけるように、消費者庁は22年1月20日、クレベリンに対し景品表示法に基づく措置命令を出した。「空間に浮遊するウイルス・菌を除去」などの表示に合理的根拠がなく、消費者に誤解を与えるおそれがあるという優良誤認表示が理由だ。

 時事通信は、全国にこう配信した(1月20日付)。

  〈消費者庁によると、対象は二酸化塩素を利用した市販のクレベリンのスプレー型やペン状の携帯型など4商品。18年9月以降、パッケージや自社サイトで「空間に浮遊するウイルス・菌を除去」とうたっていた。
同庁が表示の裏付け資料を求めたところ、密閉空間など生活空間とは異なる条件で実験したデータが提出され、「合理的根拠がない」と判断した。同庁の担当者は「二酸化塩素のような薬剤を空間に噴霧してウイルスを消毒、除菌する(効果の)評価方法は確立されていない」と話している〉

 クレベリンは大幸薬品の主力商品だ。新型コロナの特需は消えたとはいえ、21年12月期のクレベリンを含む感染管理事業の売上は全社の約6割を占めている。にもかかわらず、商品の信頼性や広告表示に対して行政から措置命令を受けたことは会社にとって大きなダメージになる。

「クレベリン」生みの親、柴田社長

 どんな製品であろうとも、ブームによる特需が一過性で終わることは経験的に知っていただろう。それなのに、なぜ工場を新設して大増産に踏み切ったのか理解に苦しむ。

 大幸薬品は1940年に柴田音治郎氏が大阪府吹田市で柴田製薬所を創業したことが始まり。戦後の46年、中島佐一薬房から忠勇征露丸(現・正露丸)の製造販売権を継承し、大幸薬品(株)を設立。胃腸薬「正露丸」の医薬品メーカーとして成長していく。

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 柴田高社長(65)の前職は医師。川崎医科大学を卒業して、大阪大学医学部第二外科に入局。外科医として複数の病院に勤めた。医師を辞めるつもりはなかったが、胃腸薬の承認基準が変わることになり、正露丸が販売できなくなるリスクに直面した家業の大幸薬品の危機が心配で実家に戻った。

 柴田氏は日本経済新聞の「私のかんさい」(19年2月5日付電子版)のコーナーでこう語っている。

〈もともと大幸薬品には正露丸以外の製品が必要だと感じていた。知人の経営する会社が開発していた二酸化塩素を使う消臭剤に目をつけた。
大幸薬品への入社前、勤めていた病院の解剖室に消臭剤を置いてみると、1週間ほどで腐敗臭が消えた。1カ月後、担当者に電話すると「浮遊菌が半分以上に減った」と伝えられた。除菌効果もあったことに驚いた。これが除菌消臭剤「クレベリン」として当社の第2の柱になる〉

 柴田氏は98年に大幸薬品の取締役に就任。05年に「クレベリン」の販売を開始。10年に社長に就いた。柴田氏は、クレベリンの生みの親で、思い入れは人一倍強い。社長になってからも大阪大学大学院の招聘教授、順天堂大学大学院の客員教授を務めるなど、経営者と学者の二足の草鞋を履いた。クレベリンブームを長期的なブームと読み違えたことが、元外科医の学者である柴田社長の最大の失敗だったといえる。

 今回のケースは、ことわざでいうところの「捕らぬ狸の皮算用」だ。捕らぬ狸を捕った狸であるかのように錯覚し、これを前提としていろいろな計画を立てるようなことをすれば、当然のことながら失敗する、という先人の教えである。

(了)
【森村 和男】

(前)

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