2024年11月26日( 火 )

古賀誠氏を恐れ派閥会長を退けなかった岸田首相

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 7日、安倍派など自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題を受けて、岸田首相が岸田派の会長を引き、派閥から離脱する意向を固めた。

慣例を破っての派閥会長

 岸田首相は、首相就任後も続けてきた岸田派(宏池会)の会長を退くことを検討してきたが、昨日までに、派閥会長を退き、派閥からも抜けることを決断したという。

 8日に国会で開かれる予定の予算委員会の集中審議などにおいて説明を行うとみられる。

 首相は、在任中に利益誘導などがないよう派閥の会長を外れることが自民党内では慣例となっていたが、岸田首相は、岸田派の会長を続けていた。

 なぜ、慣例を破って派閥会長にとどまっていたのか。岸田政権の成立は、安倍晋三元首相や麻生太郎自民党副総裁の力を借りたものであったが、それを快く思わない宏池会元会長・古賀誠氏の隠然たる影響力を警戒し、派閥会長を辞めることができなかったという。

古賀誠氏の威光を恐れる

 もともと宏池会(岸田派)は、自民党内でも、軽武装・対米協調路線で、現行憲法については、改正に慎重な姿勢をとるリベラル路線であった。ところが、岸田政権は、安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)の改定により、反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有することを容認し、首相在任中の憲法改正に言及するなど、保守色の強い方向を打ち出している。

 古賀氏は、こうした岸田首相と疎遠な状態にあり、現役時代選挙区であった久留米市を含む福岡県南の数カ所で開催した講演会などさまざまな場を通じて、「宏池会は、平和憲法を守ることが派閥の理念である」と訴えている。

 一方、政権成立に力を借りた安倍・麻生両氏は、国家意識を強く持ち、憲法9条を含めた憲法改正に積極的な考え方であった。昨年の安倍元首相の銃撃事件で、それまで安倍元首相がまとめていた岩盤保守層が、自民党支持から離反する動きを見せており、党内基盤が弱い岸田首相は、安倍派や麻生氏の意向を無視できない。

 岸田内閣の支持率は急落しており、11月の世論調査では、共同通信28.3%、時事通信21.3%、読売新聞24%、毎日21%、朝日25%といずれも20%台まで低下した。

 そのなかで、ポスト岸田として、急浮上したのが、同じ宏池会出身の上川陽子外務大臣である。永田町界隈では、茂木敏充自民党幹事長が、次の総裁を狙っているといわれ、高市早苗経済安保担当大臣は、派閥横断的な勉強会を発足させるなど、次期首相・総裁をめぐる水面下の動きが活発化している。

 ただ、岸田政権の支持率が低下しているとはいえ、野党の支持率も伸び悩んだままである。国民の間で、反対も少なくない憲法改正や、次期総裁の座といった火中の栗をわざわざ拾いに行くのを躊躇するのが人情だろう。

 ひとまず、派閥主催のパーティーや忘年会などを自粛させ、自らは派閥から身を引くことで、事態の鎮静化を図っているとみたほうが妥当な見方だろう。

【近藤 将勝】

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