2024年07月21日( 日 )

経済小説「泥に咲く」(9)自力脱出

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

自力脱出

 だから勢事にはもう、父親は必要なかった。そして、無条件に誰よりも自分を優先してくれる母を失ったことで、勢事は自立が促されたように感じた。

 無償の愛、無償の心配をくれるのは親だけだ。しかし、しっかりした存在に守られると、人は甘え、依存する。勢事は「子どもが自立するためには、親が早く死ぬことが一番だ」と聞いたことがあった。その意味では「孝行をしたい時には親は無し」が自立の基本なのかもしれない、と勢事は思った。智徳学園のピンチは自分自身で切り抜ける。松田の顔を思い出しながら、そう心に誓った。

 しかし、バイクとの事故で骨折した右足は、いまだベッドの上で吊られたままである。このまま講演活動ができなければ、学園が立ち行かなくなるのは時間の問題だった。

 打開策はあるのか。保険金が取れればいいのだが、それが無理なことはわかっていた。バイクを運転していたのは大学生で、自賠責保険には入っていたものの、会社に問い合わせて調査させたところ、「今回のような事故では保険は下りない」という明確な判断が下ったのだ。

 しかし、これははたして、最終的な結論なのだろうか。ひっくり返す方法はあるんじゃないか。

 1週間前のことだった。有力な地元財界人が勢事のもとを見舞いに訪れてくれた。彼は自らが副会長を務める福岡の経営者団体への入会を勧めた。勢事は「何もこんなときに」と思いながらも、「推薦してもらえるなら、おっしゃる通りにします」と伝えた。経験的に、力のある先輩のいうことは大人しく聞いておいたほうが良いと考えていたからだ。

 病室のベッドの上で、その有力者の顔が思い浮かんだ。彼がやってきたのは、偶然じゃないのかもしれない。

 待てよ。そうだ、あのルートが使えるんじゃないか。勢事は自分の閃きに興奮した。足が折れてなければ、飛び上がったかもしれない。

 その経営者団体のなかで勢事が知っている人物のなかに、保険会社に顔が効く人物として3人の顔が思い浮かんだ。1人は140年以上続く福岡の企業グループのトップ。1人が地元電力会社の有力者。そしてもう1人が新興宗教の教祖だった。勢事は必死の思いで手紙を書いた。

「今、私は困っています。そして何より、子どもたちが困っています……」

 そこからのスピーディーな展開はすさまじいものがあった。3日後、保険会社の支社長から連絡があり、すぐに約500万円が振り込まれることが決まった。勢事は「もっと取れるのではないか」と欲を出して、さまざまな要求を突きつけた。結局、約1,800万円を引っ張り出した。最後は保険会社の課長が「岡倉さん、これで勘弁してください」と200万円をもってきて、この事故におけるすべてのやりとりが終わった。

 智徳学園はこの保険金で、何とか息を吹き返すことができた。ただ、毎月、赤字を垂れ流す状況に変わりはなかった。どうにかしなければならない。勢事の焦りは募っていた。

(つづく)

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