経済小説「泥に咲く」(15)贖罪(しょくざい)
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主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。
贖罪(しょくざい)
結局のところ、稼いでいるのは俺だけだ。そんな気持ちがあったからだろう。勢事の社員への当たりは強かった。夜の街に社員を連れ歩くことも多かったが、酒の席では決まって彼らをなじった。
「おまえにとって、俺は必要な人間だよな」
社員は黙ってうなずくしかない。
「でも、おまえは俺にとって必要な人間じゃない。なあ、早く俺にとって必要な人間になれよ。おまえ、今のまんまじゃ給料泥棒やろ」
そう言って、胸の内ポケットから取り出した札束で社員の頬を叩いたこともあった。心を病み、辞めていく者もいたが、勢事は「弱虫が淘汰された」としか思わなかった。
放埒にも拍車がかかった。勢事は智徳学園を創立した頃に、専門学校時代の同級生と結婚していた。しかしいわゆる「幸せな家庭」を自分自身が作ることについては、うまくイメージできなかった。父親のロールモデルがなかったし、尊敬しているのは「松田のおじさん」の生き方。家庭には毎月、しっかり金を入れはするが、勢事にとっては、それが男として果たすべき責任であり、付き合う女性を同じように経済的に支えるのが、勢事流の誠実さだった。
もちろん、それが妻にとって、あるいは社会にとって、非常識であることはわかっていた。ただ、勢事にとって女性と関係を持つことは自らが生きていることを実感できる瞬間であり、金を稼ぐことのモチベーションであり、なにより心の癒しだった。自分を社会の常識の枠にはめることなど、とうていできないし、するつもりもなかった。
東京で講演の仕事が終わると、勢事はその緊張と高揚を体の中心に残したまま、決まって銀座の高級外車のショールームの前に立ち、駅から吐き出される人々を眺めた。勢事はその中からホステスだけを見極め、気に入った女がいれば、その後を追った。店のドアを開けるとボーイに「今、この店に入った子、後からテーブルにつけて」と言って、ソファで待つ。
いきなり指名してきたのはどんな男なのか。いぶかしむ気持ちを、笑顔の奥に隠した女が隣に座る。
「どうして私を?」
「いや、偶然、この店に入っていくのを見かけて、あまりに美人だったから」
「うそ」
「まあでも、そんなことはどうでもいいじゃない。シャンパン入れようか」
「ほんと? うれしい!」翌日も同じ店で指名して、シャンパンを開ける。勢事は極めて短期間で多額の金を使う上客、いわゆる「太客」になるのだ。その上で、「俺とするのか、しないのか。今、決めろよ」と率直に聞く。月に500万円もの金を使う勢事を、ホステスは離したくない。
「俺のこと、嫌いなのか」
「嫌いだったら、アフターに付き合ったりしない」
「だったら、いいじゃないか」
「そうだね」店のナンバーワンが、あっさりと首を縦に振る。長くてかかったとしても3カ月あれば、勢事に落とせないホステスはいなかった。
もちろん、同意させるには金の力が大きかったが、ここでも勢事のホステスの心にすっと入っていける「才能」が効果的に働いた。ホステスという仮面を外させ、1人の女にしてしまう力だ。勢事には彼女たちの「家族」になれる素養があった。女たちはあけすけに本音を話せる勢事を必要とし、いずれ頼るようになった。
だからこそ、むしろ勢事のほうが、「金の関係」としておきたかった。色恋沙汰はとかく面倒である。まさに、金の切れ目が縁の切れ目。もし、金が払えないようになれば、「すまない。もう無理だ」と正直に言えば、それで関係が切れる。恨みっこなしの、あっさりした間柄でいたかった。
ただし、そんな関係を維持するのは、簡単ではなかった。たとえば1人に月々40万円、50万円といった額を渡すとして、これが5人になれば200万円を超え、多い時には愛人が8人にもなったから、彼女たちに渡す生活費だけで年間4,000万円以上が必要だった。さらに言えば、店での飲み代やプレゼント代、娘が進学するとなればお祝いを、といったように、勢事は「律儀に」金を渡し続けた。稼いだ大金の大半は、女とその子どもたちにつぎ込んだと言っても過言ではない。
しかし、それは勢事にとって、どうしても必要な支出だった。高齢者たちを騙すようにして健康食品を売りつける商売の、その片棒を担いでいるという事実は、想像以上に勢事の心を蝕んでいたのだ。入ってくる金を吐き出し続けるのは、勢事の無意識が贖罪(しょくざい)を求めていたからかもしれない。
(つづく)
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