経済小説「泥に咲く」(17)離合集散
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主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。
離合集散
勢事のビジネスは催眠術的な手法を用いて客の購買意欲をあおることから「催眠商法」と呼ばれた。なかでも商品の購入を希望する客に「はい、はい」と大声で手を挙げさせるやり方は「ハイハイ商法」と言われ、健康食品や健康器具、布団や浄水器など、荒稼ぎする業者が数多く存在した。
これが問題にならないわけがない。その場の勢いに飲み込まれて、正常な判断ができないまま商品を購入してしまった客は、冷静になった時点で後悔し、国民生活センターに相談を寄せる。そもそも「特定商取引法」では「販売目的を隠しての勧誘」は禁じられているため、違法性の高い商法だった。
勢事が初めての講演を依頼された1995年の時点では、まだ批判の声も限定的だったが、2004年11月に特定商取引法が改正され、公共の場所ではない場所での、メイン商品や勧誘目的を隠しての連れ込みや販売行為が禁止となってからは、世間の風当たりも強くなった。
「ここが潮時だな」
勢事の見極めは早かった。社員たちに状況を説明したうえで「この仕事を続ける気はあるか」と問うと、幹部は一様に「やります!」と答えた。勢事はあっさりと「金のなる木」を譲った。未練はなかった。むしろ清清した気持ちだった。
これで部下たちとも別れることになるが、勢事は人との関係に執着することがなかった。離合集散を繰り返すことは、人間の原理原則だと考えていたからだ。
そのことが理解できるのならば、集まったり、離れたりという判断は、自分自身が下すべきである。理想的には常に断捨離。常に削って、常に決算棚卸しをすることである。その意味では会社を手放し、スタッフとも離れるという判断は、勢事にとって前向きの、積極的な行動であり、だから落ち込んだり、もったいなく感じたりといったことは一切なかった。
逆に注意しなければならないのは「ジリ貧の離合集散」だ。自らの主義の軸を曲げてまで離合集散を繰り返すと、いつの間にか、自分自身が消えてしまう。寂しさや不安を埋めるためだけに他人とくっついたり、恐怖から逃げ出したりするのは愚の骨頂。だから事業の落ち目が見えた時点で、勢事は即座に判断したのである。
不安に苛まれた時や、情に流されそうになったときは、やせ我慢、から元気を出してでも、別れる判断、捨てる判断をして、自らの存在を維持することが、渡世の要なのだ。
ハイハイ商法の会社を失ったとき、勢事は43歳、手元には3,000万円ほどの金が残った。
ただ、勢事にとって、3,000万円は1年も経たないうちに消えてしまう金である。「次に何をやるにしても、種銭がいる」。勢事は切実にそう思っていた。
ふと脳裏に浮かんだのが笹山である。商社時代の上司から紹介してもらった男で、肩書きは外資系ファンドの取締役だが、その実、未公開株を操作して、投資した先に莫大な利益をもたらすという評判があった。何度か酒席を共にしたことがある、という程度の仲だったが、思い切って連絡をとってみた。
「笹山さん、俺にも金をつくらせてくださいよ」
「おう、いいよ。簡単なことだ」
「本当ですか」
「じゃあ、5,000万円持ってこいよ。そうしたら儲からせてやる」
「わかりました。何とかします」勢事は自分とつながりのある有力者を1人ひとり思い浮かべていく。ピンときたのが、浄水器をネットワーク商法で販売して一財をなしていた川村だった。
「川村社長、未公開株で大きく儲けるチャンスがあります」
「ほう、いいね。岡ちゃん、いくらあればいい?」
「一株が100円。5万株で500万円が1口です」
「わかった。岡ちゃんを信じよう」実は笹山から告げられた株価は一株70円。約7万株が買えることになるから、2万株が浮く。勢事は1円も払わずに未公開株を手に入れたことになる。
半年後、この株は上場し、なんと1株2,300円の値をつけた。勢事自身は株券さえ見ていなかったが、労せずして約5,000万円の金が自分のものになったのだ。
「笹山さん、俺の持ち分は全部、売りますんで金をください」
「わかった。じゃあ、大阪まで取りにおいで」さゆみと2人で伊丹国際空港に降り立った勢事を、笹山はリムジンで待っていてくれた。
「岡ちゃん、さゆみちゃん、今夜はこっちでおいしいもんでも食べていったらいい。金はそこの袋に入れてあるから」笹山の視線の先を見ると、ごく普通の紙袋が置いてある。まさかと思って手に取ると、ずしりと重い。
「岡ちゃん、よかったな。金は稼ぐもんじゃなくて、こうやってつくるもんなんだ。面白いだろう?」
言い得て妙だった。勢事は心底「面白い」と思っていたからだ。
(つづく)
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