経済小説「泥に咲く」(29)エピローグ
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主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。
エピローグ
心臓の手術を終えた翌日のことだった。勢事の左腕に紫色の観音の姿がありありと浮かびあがった。頭から足までが30cmほどの、大きなアザである。
手術中は腕を拘束帯で巻かれるので、何かの拍子に内出血をしたのだろうが、しかし、右腕は白い肌のままだった。
見舞いにくる人たちには、なんの説明もしていないのに、誰もが一様に「どうして観音様が?」と問うてくるほど、それははっきりとした像を結んでいた。
もちろん、単なる偶然なのだろう。しかし勢事には、あの50人の祈りが浮かび上がらせたものに思えた。彼らが呼んだ守護者の姿が、勢事の体に顕現したのだと。
勢事は改めて左腕の観音を眺めてみる。
「もし、あんたが本物だったら教えてほしい。俺はこれから何を目指して生きればいい?」
そう問うた瞬間、「自立」という言葉が文字として脳裏を駆けめぐり、音として響き、同時にはっきりしたビジュアルイメージが浮かび上がった。いや、勢事自身がその世界のなかに入り込み、そこにリアルに存在した。
勢事は激しい風雨のなか、八角形の山の頂で雷に打たれながらも、たった1人、誰の支えもなく立ち続けている。痛い、苦しい、死が迫ってくる。逃げ出そうとしたそのとき、勢事はこの数年の間、知性、意思、感性を磨きながら超越的存在を目指し、真善美を追求してきたことを思い出す。今の俺ならば、これに耐えられる。たった1人で耐えられる。
そこまで考えた瞬間、勢事は現実に引き戻された。胡蝶の夢の故事を思い出す。間違いない。ベッドに横たわっている、この世界のほうが現実だ。
呼吸が乱れていた。身体中に電流が走った、そのしびれの感覚が指先に残っている。
白昼夢にしてもリアルすぎると思った時「そうか、俺はあの領域にいくのか」と確信した。そして同時に、道の険しさ、進むことの難しさを悟る。なぜなら、山の上に立っていた勢事が有していた真善美のレベルに行き着くには、孤高のなかに生きる必要があるが、その孤高はまた、独善を生むという落とし穴を生み出すからだ。つまりは死の寸前まで、達観と独善の間を行ったり来たりするのが、きっと人間というものなのだろう。そう悟った。
真の自立に向けた旅は、まだまだ続く。いや、これまでは序章。本編はまさに今、ここから始まるのかもしれない。
改めて左腕のアザを見ると、観音の顔が、わずかに、しかし間違いなく、ほころんでいた。
(了)
【著者】自立研究会(じりつけんきゅうかい)
いかなる情勢下においても自らの力で生きていくための思考法を共有し、またはその技術を提供することによって、青少年や若手経営者の自立を総合的に支援し、心身共に豊かな社会生活を営める人材を育成することを目的に研究を進めている。法人名
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