2024年11月25日( 月 )

日本はほんとうに独立国か?(後)

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広嗣まさし(作家)

イメージ    経済学者ジェフリー・サックスは、日本の外交が自主性を欠いていること、その背後にアメリカの圧力があることを指摘している。彼のその言葉が、いつまでも私の心にのしかかる。一体どうすれば、日本はこの先やっていけるのか?

 答えは、「政治的レベルでの改革ではダメで、国民の意識改革が必要だ」である。なんとなれば、政治の在り方は究極、国民意識の反映だからだ。政府の悪口をいうより、まずは己れを正せということだ。

 日本人の意識の在り方については、根本から見直さねばならない。戦後日本人を見たマーヴィン・トケイヤーは、その著書『日本は死んだ』のなかで、日本人が自主独立の精神を完全に失っていることを指摘した。このユダヤ教の師(ラビ)は、日本人に「自尊の念」がないことを嘆いたのである。

 自尊の念は自主独立の精神につながる。これがないとなれば、日本が独立国になれるはずがない。そのことを口を酸っぱくして説いたのが、「独立自尊」をモットーにした明治の先覚者・福沢諭吉である。

 彼の時代、日本は欧米列強の強圧的な態度に翻弄され、不平等な条約を結ばざるを得なかった。政府は一刻も早くこの劣勢を挽回しようと、「富国強兵」政策を掲げて果敢に前進した。しかし、福沢はそういう外的変化だけではダメだと見ていた。彼の眼目は、国民1人ひとりの意識改革にあったのだ。

 福沢は江戸幕府の欧米視察団に通訳として同行し、欧米諸国を見ている。彼が欧米に発見したのは、科学技術の発達よりも、社会の仕組み、国民1人ひとりの在り方だった。欧米の諸国民には、1人ひとりに自主独立の精神がみなぎっている。このような精神がなければ、日本は欧米に太刀打ちできない、そう見たのである。

 明治政府は西欧化を国是として諸改革をした。一方、福沢が目指したものは西欧化ではなく、「文明化」だった。「文明化」とは、端的に言って、「独立自尊」の精神の覚醒である。彼のベストセラー『学問のすゝめ』には、「一身独立して一国独立す」という名文句がある。この言葉こそ、いま思い出さねばならないものだ。

 この文言、注意しなくてはならないのは、「一身」が「一国」の前にきていることだ。国家が独立してこそ国民が独立できるのではなく、国民1人ひとりが独立していなくては国家の独立はあり得ないと言っているのだ。まずは個々人の独立自主。その総和としての国家の独立。この順番を忘れてはならないということだ。

 戦後日本の歴史をふり返ってみると、いろいろな出来事はあったが、意識の在り方において、日本人はあまり変化していない。マッカーサーの諸改革がそれなりの効力を発揮したのは一定期間だけで、今や形骸化してしまった。

 その根本原因はなにか? 政治家のせいではない。国民の側にある。国民が他人まかせの生き方をしているからだ。

 福沢に戻ると、かつて彼の思想の根源は親鸞にあると聞いたことがある。浄土真宗の開祖・親鸞は国家権力に屈せず、かといって大衆に迎合もせず、「親鸞1人がために」を貫いた人だ。この独立自尊の精神を、家が浄土真宗であった福沢も受け継いでいるというのだ。

 もしそれが本当なら、福沢の「独立自尊」が西欧からの輸入品だと思い込むことが誤りだとわかろう。日本には、親鸞のように個人の自主独立に目覚めた人が昔からあったのだ。だから、「独立自主なんて集団主義の日本人には無理」と決めつけてはならない。日本人は、その気になれば自立できる潜在力をもっているのである。

 ところで、親鸞は欺瞞を排除する人でもあった。僧侶には禁じられていた「肉食妻帯」を公言し、かつ実行したのである。多くの僧侶が隠れて肉を食べ、秘密裏に女性と交わっているのを見て、そうした欺瞞を排そうとしたのである。

 このことは何を意味するかというと、人間はなにより自分に正直でなければならないということだと思われる。自尊の念は、己れに正直であることと表裏一体なのだ。

 精神分析の元祖フロイトは言った。「ソレがあったところにとどまるべきだ」と。彼のいう「ソレ」とは、日ごろは心の奥底に燻っている無意識の願望のことであり、忘れ去られた真意のことである。忘れ去られたものは、いつか思い出さなくてはならない。日常の「私」の奥底にある真意、それに忠実であれと言ったのだ。

 日本人1人ひとり、己れの本来を思い出さなくてはならない。「忖度」など仮想に過ぎないのだ。今の日本人は忖度に忖度を重ねてビクビクしている。仮想の仮想の仮想を現実としているのだ。これでは、頭がおかしくなって不思議はない。

 日本人は勤勉な国民などといわれるが、心の探求という点では怠惰である。教育機関に勤める人、教職に就いている人は、その点をまず考えねばならない。「そんな余裕はありません」などというなかれ。このままでは国民の精神病は悪化する一方である。

(了)

(中)

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