筥崎宮の悠久の歴史と西日本一の祭・放生会(ほうじょうや)
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今年もまた福岡・博多の秋の風物詩、筥崎宮放生会の時期がきた。近年の世界的な気候変動の影響もあってか、夏の暑さを残したまま迎えることが予想されてはいるが、我々にとって放生会はやはり夏の終わり、そして秋の訪れを感じることのできるかけがえのない祭事だ。ここでは、筥崎宮放生会の舞台となる筥崎宮とその悠久の歴史をたどってみよう。
筥崎宮の歴史と日本の魅力
筥崎宮(福岡市東区)は、日本でも有数の敷地面積を誇る広大な神社だ。福岡市の都心部から近く、福岡市地下鉄・箱崎宮前駅が参道脇にあるなど立地にも恵まれていることから、9月の筥崎宮放生会では福岡市民のみならず県内外から多くの人々が集う。参拝客数は例年150万人にのぼるといい、インバウンドの影響で今年はより多くの人で賑わうことが予想される。外国人観光客にとって、都市と古い神社が共存する姿だけでなく、浴衣姿の日本人や多くの露天商で賑わう放生会など、日本らしい文化を体感できる筥崎宮は、実に興味深い存在だろう。
国家安寧を祈る「敵国降伏」
筥崎宮がある箱崎という街は、海に面し博多の北東部に隣接することから、古くより港として発展を遂げてきた。周辺に生活する人々にとって、お宮が極めて重要な存在であったことは容易に想像できる。筥崎宮はその名を筥崎八幡宮とも称し、宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)とともに日本三大八幡宮の1つに数えられている。応神天皇、神功皇后、玉依姫命の三柱を祀り、923年の平安時代中頃に穂波郡(現・福岡県飯塚市)の大分八幡宮を遷座したのがその起源だ。
博多湾を正面に建造された社殿は、長い時代の流れのなかで幾多の災害、異国との戦いによってたびたび失われては再建されてきたという歴史をもつ。1274年と1281年、二度にわたる蒙古軍の襲来(元寇)で焼失した際には、当時の亀山上皇が国家安寧を祈り「敵国降伏」と謹書。その文字を拡大してつくられた扁額が、現在も本殿の入り口である楼門に掲げられている。ここを訪れた人が誰しも最初に目に留めるだろう、大きく印象的な扁額だ。これがあることから楼門は、またの名を伏敵門とも呼ばれている。
厄除け勝運の神
鎌倉末期から戦国、安土桃山にかけては、足利尊氏(1305~1358)、大内義隆(1507~1551)、小早川隆景(1533~1597)、豊臣秀吉(1537~1598)といった名だたる武将たちが詣でた記録が残されている。我が国最大の危機といわれる蒙古襲来から国を護ったとされる神社だ。彼らが筥崎宮を重要視したのは、自らの武運を祈り、厄除け勝運の神として崇めたからにほかならない。
さて、蒙古襲来の後、焼失してしまった本殿と拝殿だが、1546年に大内義隆により再建され、1594年には小早川隆景が楼門を再建している。大学通り(旧・唐津街道)に面して堂々と立つ鳥居は、1609年に福岡藩初代藩主の黒田長政(1568~1623)が建立したものだ。
このように、有名武将たちによって数々の寄進があったことはもちろんだが、そのほかにも歴史の痕跡はしっかりと残されている。たとえば本殿脇には、信長と秀吉に仕えたことで知られる千利休が奉納した石灯籠があり、この時代に興味を持つ人たちにとって、まさに垂涎の的といえるものだろう。また、楼門扉に彫られた太閤桐の紋様彫刻も大変に貴重なもので、江戸時代に活躍した伝説の名匠・左甚五郎の作だ。
博多三大祭りの1つ
残念なことにもう失われてしまったが、箱崎付近の海岸は近代に至るまで十里松原と呼ばれた白砂青松の名勝地だった。そのため文学の世界で箱崎の松は、平安時代中期の歌人として知られる源重之ほか、多くの歌人たちに詠まれた歌枕として知られている。ちなみに筥崎宮には大内義隆たちが詠んだ和歌懐紙、豊臣秀吉たちが詠んだ和歌短冊が今も大切に所蔵されているという。
明治以降は神仏分離令が発せられ、戦後に至っては宗教法人に変わるなど幾多の変遷を経て今日に至っているが、その価値は決して損なわれることなく、今日では福岡・博多の象徴としてなくてはならない存在となっているのが筥崎宮、そして筥崎宮放生会だ。
放生会が始まったのは677年、天武天皇が諸国へ詔を下して放生を行わせたと日本書紀に記されている。魚や鳥などを野に放し殺生を戒めるための行事だ。これが、筥崎宮で始まったのが919年だというから、蒙古襲来のはるか以前から、千年を超えて続いてきたことになる。当時の祭りの姿と今を比べる術はないが、根底にあるものは変わっていないだろう。期間中に行われる供養祈願祭では、やむを得ず殺生した生き物の供養に加え、商売繁盛や家内安全も祈願されるが、天武天皇の思いが現代にも息づいているに違いない。
筥崎宮では1年を通してさまざまな神事や行事が行われているが、そのなかでも筥崎宮放生会は最も重要な神事だ。春の博多どんたく、夏の博多祇園山笠と並ぶ博多三大祭りの1つに数えられている。
【天野祐次】
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