2024年12月22日( 日 )

30周年を迎え、また超えて(28)ついに立つ(5)

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法人登記完了

 会社登記は1994年11月10日、資本金7,000万円でスタートした。「おや、1億円ではないの?」と疑問をもたれることでありましょう。それも当然のことだと思います。結末については、この項の最後に記すことにします。

 (設立時の取締役および監査役)
  代表取締役社長      児玉 直
  取締役          権藤 理仁
  取締役          川越 光明
  取締役          宮城 普芳
  取締役          吉田 宗治
  監査役          田中 恵

 中尾専務は12月10日時点では来福していないため登記はしていなかった。取締役・権藤氏は出版関係の企画・印刷を担う人物である。川越氏は前回、紹介したデータ・マックス宮崎の代表、宮城氏は(株)データ・マックス沖縄代表、吉田氏は(株)企業情報ネットワーク代表、監査役・田中氏は公認会計士であった。

データ・マックスの組織および商品の枠組み

 代表取締役社長・児玉直、専務・中尾勉、同氏の下に総務・経理、さらに組織として編集部、調査部、情報部という3部門を設け、各部門のトップを部長扱いとした。そして稼ぐための商品を決めるにあたり、「梁山泊」でかなりの時間をかけて議論した。

 「与信情報プラス経営・経済情報」掲載の情報紙を週2回発行、年間購読料は15万円に設定した。ここに至るまでの過程はこのシリーズで述べてきた。会員から最低15万円をいただく基本のビジネススタイルを確立したから30周年を迎えられたと結論付けることができる。そして『I・B』特集号を年2回発刊することも決定した。
 さらに調査商品の売上についても触れることにする。94年前後は企業調査依頼がある程度あったから調査会員の需要はあった。だから、挨拶回りをしながら調査商品の契約を取ることができた。

社員たちの採用時期をどうするか

 データ・マックスに参集する仲間たちをいつから出社させるかという議論になった。まずは営業開始を95年1月1日とした。次に仲間たちのボーナスをどうするかが議題に上がった。普通ならば「東経でもらって退社すれば良い」という考えに陥りがちだろう。当社に雇用されるのは95年1月1日であるから何も疚しいことはない。しかし、2桁にのぼる社員たちが年末賞与をもらって一斉退社するのは心苦しい。20年間、お世話になった東京経済に後足で砂をかけるような真似はしたくなかった。

 2日間、思案に明け暮れた。そして、「やはり、こちらが支払うのが筋であろう」という結論に至った。そこで仲間たちに下記のように通告した。「ボーナスの二重取りはやめてくれ。データ・マックスでは、東経でもらう予定の金額を支度金として支払うから」と告げると、同志(?)たちは驚いた。彼らが2重に受け取ったかどうかは定かではない。そこまで立ち入って調査する気分にはならなかった。

2カ月決算で2,197万円の赤字

 1期目の決算は2カ月である(11~12月)。貸借対照表と損益計算書を添付する。見栄を張って事業を組み立てると費用がかかる。売上高177万5,731円、営業費用2,314万8,489円で、経常損失2,106万9,861円を計上した。それでも現預金は4,286万7,732円残っている。「来月(95年1月)から営業開始するので、それまでに稼げばよい」という自信があったから、不安はまったく感じなかった。

 事業を起こす場合、手持ちの資金に見合った「地味なスタート」をすることが賢明な策であることに異論はない。しかし、情報発信ビジネス業は見栄を張ることも重要である。中央区警固の貸しビルの屋上から垂れ幕を垂らしたこともある。「企業のお助けマン」という標語を使ったこともあった。ともあれ資本金1億円(スタートは7,000万円)を調達することができたから、うろたえなくて済んだのである。

志ある者30%、便乗する者70%

 2桁に達する者たちが(株)データ・マックスに馳せ参じてくれた。新会社へ結集した社員の動機を冷静に分析すると、「新会社で己のスキルを一挙にアップできるから」「コダマが面白い情報会社を立ち上げるから好きなように情報発信をさせてくれる」と「志と興味」を抱いている者たちが30%だった。残り70%は「会社への不満」「待遇面、会社に評価されなかった」等々の動機で集まった者である。もちろん、筆者への信用が彼らに無ければ接近することはないが、「将来をかけても損はない」と期待されていたことは事実であった。後に「動機による明暗」が鮮明となってくる。

95年3月、資本金1億円の会社へ

 その便乗組のなかに過去のシリーズで登場した大任がいる。彼は東経で「鼻つまみ者」だった。その大任が「コダマさん、俺が資本金3,000万円を調達するから幹部にさせてくれ!」と近づいてきた(「九経エコノス」時代の営業マンであった)。要するに筆者の独立に便乗しようとの魂胆があったのだ。「大任君!ヴァーナルから資金を引っぱってきたのであれば、それは受け取れないよ」とくぎを刺した。

 結果を言えば、他からの調達見込みはゼロだったのである。95年3月に発会式を博多駅前のホテルで大々的に行う予定であったから、そこまでは辛抱強く待つことにした。期待通り(予想通り)、資金を1円ももってこなかった。だから即刻、辞めてもらった。

 まず「敵は内部にあり」と自身を戒めることが肝要だ。資本金3,000万円は準備万端であったから、「1億円」の手続きを素早く完了した。ここから本格的な稼働となる。

(つづく)

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