2024年12月13日( 金 )

戒厳令発令の背景とその意味を問う~韓国はどこに向かおうとしているのか~(2)

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鹿児島大学名誉教授
ISF独立言論フォーラム編集長
木村朗

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が11月3日夜、「非常戒厳」の宣布を発表した。
 これを受けて戒厳令に抗議する市民多数が国会議事堂の周りに集まった。また急遽国会議員も国会に駆けつけて、翌日未明には素早く戒厳令解除の要求を議決した。
 このため大統領は4日早朝には、戒厳令を解除すると表明した。戒厳令発動の2時間後に国会が戒厳令反対の決議をし、6時間後に戒厳令が解除されたわけである。
 このあまりに突然の出来事に、韓国国民だけでなく世界中の人々が驚愕した。今回の戒厳令発動から解除までの経緯を振り返りながら、韓国で一体何が起こっていたのか、その背景と意味するものは何か、また今後どのような展開となるのかを改めて考えてみたい。

突然の戒厳令発動とその意味~何が起きていたのか

韓国 国会 イメージ    尹大統領が3日夜、突然「非常戒厳」を宣言し、韓国が民主化して以降初めての戒厳令に踏み切った。しかし、この戒厳令はそのわずか約6時間後に解除されることになる。それではなぜ尹大統領は、このような非常手段に出たのであろうか。

 尹大統領の非常戒厳宣言と戒厳令発動の目的・理由として主に指摘されているのは、次の3点である。

 第一に、国政のまひと国家的危機の打開である。尹大統領は、3日の竜山(ヨンサン)大統領室での緊急談話で、野党が国会の過半数(3分の2)を握り、来年の予算案を大幅に削減し、政権閣僚・スタッフの弾劾(計20回以上)を求める野党・市民側の対応などを理由に「国政はまひ状態にある。憲政の秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と述べた。

 尹大統領はその緊急ブリーフィングのなかで、「私は北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守護し、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」とし、「亡国の奈落に落ちている自由大韓民国を再建し守り抜く」と述べた。その際、尹大統領はこうした脅威の詳細を明らかにせず、誰を脅威と捉えているのかも示さなかった。

 尹大統領は、本当に自分(大統領)の権力が脅かされており、それは韓国の国家機構・政治体制に対して大きな脅威となっている、野党の攻撃の背後には北朝鮮がいてこのまま放置しておくと大韓民国そのものが北朝鮮の影響下に入ってしまう、という危機感をもっていたように思われる。そのことは自分に反対する野党や市民を「反国家勢力」「従北勢力」と決めつけ、「北朝鮮の脅威」と結び付けて危機を強調したことからも分かる。

 しかし、これは韓国のいまの客観的状況から見てあまりにも的外れの現状認識であると言わざるを得ない。まさに尹大統領自身の1人よがりの思い込み、妄想といってよい。だが、尹大統領がそこまで心理的に追い詰められていたというのは事実であろう。

 尹大統領が米政府の強硬政策に盲従して中露両国と敵対した結果、韓国経済は急速に悪化した。相次ぐスキャンダルの発覚もあって、国民の支持率は20%を切っていた。戒厳令が宣言される前の週に韓国では10万人の市民が街頭で抗議活動を展開、尹大統領の辞任を要求していた。

 第二に、政敵の排除と政権の延命である。尹大統領は戒厳令発動と同時に戒厳司令部による「政治活動の禁止」を打ち出した。国家情報院(国情院)のホン・ジャンウォン第1次長は6日、「非常戒厳」発表直後に尹大統領が電話で「この機会にすべて捕まえて整理しろ」と指示し、国軍防諜司令部を支援するよう命じたと明らかにした。

 そのときに伝えられた逮捕対象者の名簿には、(1)「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表(2)禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長(3)与党「国民の力」の韓東勲代表(4)「共に民主党」の金民錫(キム・ミンソク)最高委員(5)「共に民主党」の朴賛大(パク・チャンデ)院内代表(6)「共に民主党」の鄭清来(チョン・チョンレ)議員(7)野党「祖国革新党」の曺国(チョ・グク)代表(8)ラジオDJの金於俊(キム・オジュン)氏(9)金命洙(キム・ミョンス)元最高裁判事、などの氏名があったという。

 このなかでもとくに注目されるのは、韓国最大野党の進歩(革新)系最大野党・共に民主党代表で、次の大統領選の有力候補とされる李在明代表である。

 韓国のソウル中央地裁は11月25日、自らが被告人の刑事裁判で証人にうその証言をさせたとして、偽証教唆の罪に問われていた李在明代表に対し、無罪判決を言い渡した。検察側は懲役3年を求刑していた。韓国メディアによると、検察側は控訴する方針を示した。

 李在明代表には、首長時代の都市開発をめぐる汚職など複数の疑惑があり、5件の裁判を抱えている。このうち、判決が出たのは有罪だった11月15日に続き今回で2件目。李在明氏は判決後、記者団に対し「真実と正義を取り戻してくれた裁判所に感謝する」と述べた。

 李在明氏には11月15日、22年大統領選の過程で自身の疑惑に関し虚偽の発言をした公選法違反の罪で、懲役1年、執行猶予2年の一審判決が言い渡された。李在明氏は控訴したが、上級審で判決が確定すれば国会議員を失職。27年大統領選の野党有力候補と目されているが、出馬できなくなる。

 第三に、尹大統領夫人のスキャンダルの封印である。尹大統領の妻で「影の大統領」といわれる金建希(キム・ゴンヒ)夫人には経歴詐称疑惑、高級ブランド「ディオール」のバッグ授受問題、ドイツモーターズ株価操作事件への資金提供疑惑、さらには22年に行われた国会議員補欠選挙の与党公認候補選びへの不当な口利き介入、ソウル―ヤンピョン間高速道路の路線変更、海外歴訪に民間人を同行させた、など数々の疑惑が次々に噴出していた。そのため尹大統領の支持率は過去最低の17%まで下がっていた。

 尹大統領はこの金建希夫人のスキャンダルを封印するために、これまで3回も出された特別検察官法の成立を阻んできた。そして今回の戒厳令は4回目の特別検察官法の審議が行われる直前のタイミングで出されたことが注目される。

(つづく)


<プロフィール>
木村朗
(きむら・あきら)
1954年生まれ。北九州市出身。北九州工業高等専門学校を中退後、福岡県立小倉高校を卒業。九州大学法学部、同大学院法学研究科(博士課程在籍中に交換留学生としてベオグラード大学政治学部留学)、同法学部助手を経て、88年に鹿児島大学法文学部助教授、97年から同学部教授(20年まで)。専門は平和学、国際関係論。鹿児島大学名誉教授。日本平和学会理事、東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会共同代表、国際アジア共同体学会理事長、元九州平和教育研究協議会会長などを歴任。

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